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もりいくすお
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その後品川('''勅使、院使を出迎えた地'''。そして「'''義士銘々伝'''」でブレイクした、現在の浪曲の形を作った桃中軒 雲右衛門の葬られてる地)で育つ。
ちなみに誕生日は'''[[不破数右衛門]]'''を演じた田中邦衛や綿引勝彦と同じ勤労感謝の日。'''元禄14年、江戸会議で内蔵助がみんなをなだめたあと、赤穂へ発った'''日。
先祖は'''[[大石内蔵助]]の閑居があった京都の山科'''の近所の出だと勘違いしていた時期があったが(高祖母が木村荘平の愛妾だったから)、実際は'''[[伊達左京亮|伊達家]]'''のお屋敷があった麻布は仙台坂のそばのおっさんの子孫だった。
父親は、麻布高校の出身で、'''[[間十次郎]]一家'''の子孫であるメディア界の重鎮・羽佐間重彰さんの後輩。しかし'''[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]'''はフィクションだからいいが、いかにも史実であるかのように家柄の良い'''高家筆頭の[[吉良上野介]]'''を悪者に仕立て上げる映画の忠臣蔵は嫌いじゃ!」と、アンチ忠臣蔵の秋葉原のデザイン会社の取締役で、母親は泉岳寺そっくりの'''四十七義士の墓'''がある(興宗寺〜こうしゅうじ〜)福岡県(とはいえ、お寺さんは福岡市で彼女はがある(興宗寺〜こうしゅうじ〜)福岡県(とはいえ、お寺さんは福岡市で彼女のほうは、'''寺坂吉右衛門'''の墓のある八女の近所の久留米)出身で、「忠臣蔵」と聞いても「はぁ、時代劇ね」というくらいのフリーの経理事務の人。くすおはそういう家柄のもとに生まれた。
物心ついた時からすでに絵を描くのが好きだったくすおは、小学生の時、雑誌の「テレビランド」や「小学四年生」「小学五年生」に投稿して絵を掲載してもらう印刷初体験をする。同時に「おはようこどもショー」のコーナーでつボイノリオの背景に絵を採用された放送電波初体験もした。(放送をした日本テレビは当時'''赤穂浪士が潜伏した麹町'''にあったが、現在、汐留の'''仙台藩芝口上屋敷跡'''にある。討ち入り後に赤穂浪士に粥を振る舞ったお屋敷である)
勉強のじゃまになったり、他人の机を落書きで汚したり、いかがわしい絵を描いたりという悪行に対してしばしばマンガ全般禁止令が出るが、今にして思えば抑圧はますます描きたい情熱をかきたてた。
また落語にハマったのも中学時代で、たとえば「'''[[中村仲蔵]]'''」を聴きながら、創作の魅力をあれこれ想像し、おはなしに出てくる'''[[斧定九郎|定九郎]]'''ってどんなんだろうと思いをはせた。この頃を境に両親を「おとっつぁん」「おっかさん」と呼ぶようになる。
学校の先輩に、'''[[清閑寺熙定|清閑寺中納言]]'''を演じた上原謙や'''[[大石内蔵助]]'''その他を演じた[[丹波哲郎]]。'''[[間十次郎]]'''の子孫でアナウンサーの羽佐間正雄氏がいる。
このころ、雑誌「ぴあ」に毎号似顔絵パロディイラストを読者投稿して掲載してもらうなどしていたが、高2のある日、縁あって「仮面ライダー」や「'''マンガ日本の歴史・忠臣蔵と生類憐み'''」で有名な石ノ森章太郎先生にマンガを見てもらい、とりあえず悪く言われなかったことですっかりその気になり絵描きの道を目指す。お礼に出かけた場所が国立演芸場の楽屋だったことも手伝ってか、ソワソワするもりいの様子を見たその時の先生のアドバイスは「きみは噺家をめざしたほうがいいんじゃないか?」だった。 」で有名な石ノ森章太郎先生にマンガを見てもらい、とりあえず悪く言われなかったことですっかりその気になり、絵描きの道を目指す。お礼に出かけた場所が国立演芸場の楽屋だったことも手伝ってか、ソワソワするもりいの様子を見たその時の先生のアドバイスは「きみは噺家をめざしたほうがいいんじゃないか?」だった。
高校卒業後は、渋谷の専門学校桑沢デザイン研究所(先輩に'''[[田村右京大夫|田村]]'''邸跡で切腹最中を売る新正堂さん社長夫婦)でグラフィックデザインを学ぶ。課題の多さにヘトヘトになり押しつぶされそうになると浅草東宝に「クレージーキャッツ特集」をオールナイトで見に行っては正気をたもった。邸跡で切腹最中を売る新正堂さん社長夫婦)でグラフィックデザインを学ぶ。課題の多さにヘトヘトになり押しつぶされそうになると、浅草東宝に「クレージーキャッツ特集」をオールナイトで見に行っては正気をたもった。
在学中に、刃傷事件のあった'''江戸城の、内匠頭が駕籠で出てった平川門'''の近所の小学館の漫画週刊誌からデビュー。
友人に助けられながら、クライアントに謝りながら、それなりにイラストレーター生活を続け、たまに広川太一郎さんのモノマネ('''[[間十次郎]]'''の子孫の声優・羽佐間道夫さんおすみつき)で関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションもお手伝いしつつ、台東区では10年以上営業を続けた。の子孫の声優・羽佐間道夫さんおすみつき。とはいえ20年以上経って、お会いした時はコサキンにおいでになったことをお忘れでした。「小堺くんが"俺がハマーだ!"のファンなんだよね。」)で、関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションもお手伝いしつつ、台東区では10年以上営業を続けた。
ちなみに関根氏は高輪の育ちであり、小学生時代は'''義士祭'''になると煙まみれの'''泉岳寺'''に、お友達と「探検だ!」と言って出かけたという(お寺はご実家から徒歩7分)。に、お友達と「探検だ!」と言って出かけたという(ご本人談。お寺はご実家から徒歩7分)。
またその後、ルポ漫画を得意とした作家としてほうぼう出かけてはそれをマンガにすることが多くなる。(リクルートガテン「おしごと見聞録」/日刊ゲンダイ「見てきたマンマ」/三才ブックス裏ッ!「ピンポンダッシュ」/講談社モーニング「モーニング探検隊」など)
そうした20〜30代は、特に忠臣蔵を意識することもなく生きていたが、それでもなぜか年末の忠臣蔵映画を録画したり、大河ドラマの「'''[[元禄繚乱]]'''」を毎週録画したりしていた。(この時点ではまだ忠臣蔵にハマっていない)」を毎週録画したりしていた。(それでもまだ、この時点で忠臣蔵にハマっていない)
サイト公開1周年の2009年10月、ネットアニメ「'''[[まんが超忠臣蔵]]'''」を発表した。(やがて2017年。アニメ監督・橘正紀氏がご覧になってアニメ「プリンセス・プリンシパル」におけるもりいのゲスト声優出演を決める。)