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忠臣蔵(大映)
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{{Cinema|制作=大映|公開=1958|内蔵助=長谷川一夫|星=34|頃=}}
[[画像:Katsu_s.jpg|thumb|役者絵:勝 新太郎]][[画像:okano00.jpg|thumb|役者絵:鶴田浩二]]
あと、「大石東下り」の[[垣見五郎兵衛]]役の中村鴈治郎がいい。この人、黒澤の「どん底」もそうなんだけど、顔がちょっと恐いわりにどこかカワイイのです。
これらのエピソードのおかげで東映や東宝に比べて本作品は、'''講談色が濃い'''。 もともと渡辺邦男監督は「ひねくれた解釈なしに、誰にでもよくわかり、面白く見られる、言うなれば「講談忠臣蔵」を作りたいと思っている」と語っていたそうです。<small>(別冊近代映画 '58)</small> 大映でメガホンを取るのは初めての渡辺監督は、いったんは大映常務の松山英夫([[忠臣蔵 地の巻/天の巻|日活時代にバンツマで忠臣蔵]]を成功させている)の直々のオファーを断っているが、松山の「講談調の忠臣蔵を…」の、言葉に動かされたという。<small>(昭和33年「アサヒ芸能」NO.614)</small> 結果、本作は奥することなく正調忠臣蔵を言っていい作品には仕上がっているが、いささか泥臭い。 この映画でもっとも特徴的なのは、全編にわたって要所要所で[[多門伝八郎]]が月光仮面(鞍馬天狗?)のように奔走してかなり浪士側をバックアップしてくれる部分。が月光仮面(怪傑黒頭巾?)のように奔走してかなり浪士側をバックアップしてくれる部分。 長谷川一夫の細かい気を使った演じぶり(抑えめのオーバーアクション)や、台詞一行に感じる重みが楽しめればマジメな忠臣蔵ファンには期待を裏切らない「おとなのつくりこみ」だが、チャラいところがない隙の無さがビギナーには堅苦しいかも? 註01…赤垣源蔵役で映像版の徳利の別れを好演した勝新太郎は当時のインタビューで「自分は二枚目に固執してるわけじゃないし三枚目もきらいじゃない。作品によっては唄えと言われれば唄ってもいいと思うんですが、いろんなタイプのものに出ていると、へんに器用な点で止まってしまうんではないか。だから年に一本でも二本でも、僕のために考えてくれたような企画に恵まれて若さのある間に力いっぱいぶつかってみたい。」と言っている(別冊近代映画 '58)。 忠臣蔵系ではこの翌年「[[薄桜記]]」に出るが、1960年にめでたく座頭市の原型「不知火検校」を演って、1961に「[[ドドンパ酔虎伝]]」やったあと(もちろんほかにもいっぱい出てますよ)遂に1962年、ライフワークとなる「座頭市物語」のリリースに至る。おめでとうございます。
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画像:daiei.jpg|thumb|演出中の渡辺監督。アサヒ芸能より。
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[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1958]]