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祐海

902 バイト追加, 2016年8月14日 (日) 01:02
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「[[大忠臣蔵(NET)|ミフネ版]]」では「内蔵助が心を許した友」と紹介している。腕の具合悪い尾崎村時代の内蔵助を見舞い、まずは浅野家再興の嘆願をすべきだとアドバイスをする。
 
「[[峠の群像]]」では内蔵助から頼み込まれて行ったことのない江戸まで出かけ、お家再興に力添えをしてもらおうと手管を労して将軍のアドバイザー・隆光に同じ宗派のよしみでと謁見に成功するが、手ぶらだったためになんのハナシも聞いてもらえず、まったく相手にされないという失態を演じている。
「[[あゝ忠臣蔵]]」にも江戸と京都との通信中継地点としてお家再興に手を尽くす僧が出てくる。重要な役回りだがクレジットには「僧」とだけしてあるが祐海っぽい。
碁敵の和尚は講談本にも登場し「迦覚寺(かがくじ…花岳寺のこと?)」の和尚とある。
 
実はこれ、モデルは赤穂御崎は正福寺の良雪という住職だそうであります。
 
ほんとに内蔵助とは碁敵で、「君(きみ)辱(はずかし)めらるれば臣(しん)死す」(主君が恥辱を受けるようなことがあれば、家臣だったら命を投げ出して主君の恥をそそがなければならない。)と教えて、内蔵助にあるべき方向性を示唆したと言われているそうです。
 
実際の内蔵助の弟さんや養子が八幡山の'''大西坊'''という人のところに入っており、「(おおにしぼう)という人のところに入っており、「[[赤穂浪士(テレビ朝日)|赤穂浪士]]」に出てくる。大石が大事な手紙を[[八介]]に渡してよこし、それを道中[[堀田隼人]]がつけねらう。