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菅谷半之丞

1,352 バイト追加, 2021年6月7日 (月) 18:33
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[[Category:四十七士|すかやはんのしょう]][[画像:Kaian.JPG|thumb|広島県、寺戸の甲斐庵あと]][[画像:Cyofukuji.jpg|thumb|半之丞が潜伏した谷中の長福寺(現・観音寺)の供養塔]]
菅谷半之丞【すがや はんのじょう】…仇が複数キャラ。
江戸潜伏中に吉良家の大須賀の長屋から継母お岩が甘酒を買ってるところを発見。おのれ奸夫姦婦!
討ち入りの時、裏門隊だったが、隊長の[[大石主税|主税]]に「仇討ち三昧、まことに恐縮ながら」と断って大須賀はそれがしにヤラせてくださいと許可を取り、みごと長屋において二人を槍でぶっ殺します。に「仇討ち三昧、まことに恐縮ながら」と断って大須賀はそれがしにヤラせてくださいと許可を取り、みごと長屋において二人を槍でぶっ殺します。(講談) 
この話、お岩のセクハラがいやで外泊を続けてるうちに[[内匠頭]]のアドバイスで赤穂を出た。というバージョンのオープニングもございます。
街で評判のイケメンという設定の一方で、泉岳寺のおみやげの銘々伝には「非常にぶおとこで、どもりとあしなえとの三具足は一党中の第一人者である」と書いてある。
講談の本にも城明け渡しの後に、備後三次(みよし)の兄の岡本松之助のやっかいになり、ろうあ者で足が不自由なふりをしていたともあり、「障害者」的な設定も見受けられます。講談の本にも城明け渡しの後に、備後・三次(みよし)の兄の岡本松之助のやっかいになり、ろうあ者で足が不自由なふりをしていたともあり、「障害者」的な設定も見受けられます。
谷中の長福寺という寺(住職の文良さんは菅茶山(かん ちゃざん)という儒学者のルポにも広島の三次は寺戸にある甲斐谷に小さな庵を構えて足跛耳聾の菅谷某が子供にバカにされながら釣りざんまいの酒浸りで暮らしてたとあるそうです。  江戸では谷中の長福寺という寺(住職の文良さんは[[近松勘六]]や[[奥田貞右衛門]]の弟)で寓居していたそうです。
 * [http://blog.kusuya.net/?day=20170801 忠臣蔵ブログ「ひろしま忠臣蔵(2)」](もりいの寺戸ルポ)  -------'''中村弥太丞'''
サテ中村弥太丞(なかむら やたのじょう)というキャラがいて、実父が殺され赤穂に駆けつけるまでほとんど菅谷半之丞と同じエピソードの講談がございます。
彼の場合は討ち入りの3年後に、高崎城下において親の仇にめぐりあい、首尾よく本懐を遂げまする。その後成長した息子は浅野本家に召し抱えられ、めでたし。
 
 
名前の文字数や「丞」がついてる(ちなみに官職に由来しててトップが「守」次官が「介」…それより下)かんじが似てるのでてっきり架空の人物かと思ったら実在の人物で、史料では[[岡野治太夫|岡野治大夫]]や[[井関徳兵衛]]ら5名で松の廊下事件のあと実際に鎧櫃をしょって赤穂城に駆けつけ、籠城に加わろうとしたとか。(浪人をあつめたとあっては残念なので断念するよう内蔵助に断られたのも講談の創作ではない。駆けつけたほかの2名は同門左衛門。大岡清九郎)
 
中村弥太丞の名で役がついてる役者も忠臣蔵作品にはちょこちょこ、ある。

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