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赤埴源蔵

2,424 バイト追加, 2020年12月14日 (月) 23:49
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よく赤垣(あかがき)と間違われる。江戸急進派。
 
明治期の本には「赤垣源蔵、[[武林唯七]]とくると、どんな子供衆でもご存知でございます」(青海堂 落語忠臣蔵)と、言ってるくらいの人気キャラ。
すぎ「マア。源蔵様、泣いてらっしゃるんですか?」
源蔵「いや、あんまり寒いから目から水っぱなが出た」源蔵「いや、あんまり寒いから目から水っぱなが出た」(or 儂は風邪を引くと目からハナが出るby浪曲。…2016NHK講談大会の神田松鯉先生&2018.12月神田松之丞さんのラジオの公開収録で観た「徳利の別れ」では、師弟揃って女中とのやりとりが少ない重たいバージョンで、ハナのくだりは無かった。)
お兄さんは帰宅後、おすぎから源蔵の様子を聞き、気の毒がる。
「徳利の別れ」「名残の徳利」 
 
 
落語「赤垣源蔵」では兄の名は柴田伊左衛門(脇坂淡路守の家来)。源蔵がお鍋(と名が変わる)の顔のことを「人一化け九」とからかえば、お鍋は髪を上げるときに使うヒビったけの入ったムサい茶碗をもてなしに出すなどふたりの間柄にギャグ度がパワーアップ。源蔵は羽織ではなく兄の名札に一献。
 
討ち入りの朝、兄は下男の半助に「わが弟、源蔵がいたらたくさんホメ言葉をかけてくれ。もしいなかったらお前、切腹してはてろっ」
 
それからめでたく仙台家の門前で二人は出会い、別れる。
 
※講釈師もしてた五明楼玉輔(2nd)から三遊亭円遊(3rd)が伝授されたとされる講談のバリエーション。
元宝塚のもりいの友人が享年35。  [[忠臣蔵ー花に散り雪に散りー|杜けあきの公演]https://www.youtube.com/watch?v=OFICXA8S0dU&t=533s しろうと落語「赤垣源蔵 徳利の別れ」]で演じた。   
野田秀樹主宰だった劇団夢の遊眠社による、赤垣源蔵が主役の1991年のお芝居「目に青葉ヤマホトトギス赤穂浪士」というのもある。
シナリオを読んでも特徴豊かな夢の遊眠社のほんとうの魅力までにはたどり着けなかったが、おはなしはイイ具合に荒唐無稽。忠臣蔵物語につきものの正命題vs反命題・的な要素をひねくって、わかりようのないわかりやすさでメタファーの花園にした作品。シナリオだけを読んだだけでは、特徴豊かな夢の遊眠社の舞台の魅力までにはたどり着けなかったが、おはなし自体はイイ具合に荒唐無稽。忠臣蔵物語につきものの正命題vs反命題・的な要素をひねくって、わかりようのないわかりやすさでメタファーの花園にした作品。
主人公が赤垣源蔵とファーブルと蛾の三役をしてることでもわかるとおり、お話し世界がグルグルする。客の前に小出しに出してくる赤穂浪士ネタはというと、ときどき出てくる四十七士メンバーのチョイスとか、仮名手本の抜粋とかが意外にソツがなく、原作の野田氏が忠臣蔵に執着があるのか、次元の高いにわか勉強によるプレーなのかが計り知れない。いや、そこが計れたところでなんなのか。ビデオでいいから観てみたい。主人公が赤垣源蔵とファーブルと蛾の三役をしてることでもわかるとおり、お話し世界がグルグルする。客の前に小出しに出してくる赤穂浪士ネタはというと、ときどき出てくる四十七士メンバーのチョイスとか、仮名手本の抜粋とか、講談のアレンジが意外にソツがなく、原作の野田氏が忠臣蔵に執着があるのか、次元の高いにわか勉強によるプレーなのかが計り知れない。いや、そこが計れたところでなんなのか。ビデオでいいから観てみたい。
加筆)まったく源蔵さんとは無関係だが、野田秀樹のしごとには中村勘三郎(18th)の襲名興行の「野田版 研辰の討たれ」(H17)という脚本&演出作品があり、ストーリーライン自体はシンプルなのに野田先生がすごいワード数と演出でせわしなくふくらませ、そのものすごいエネルギーに当てられて死ぬ鑑賞者もいるんじゃないかというすさまじいコメディ劇がある。
享年35。赤穂浪士の討ち入り成功のころ、その義挙に否定的な刀磨上がりのサムライ・守山辰次と彼を仇とつけ狙う平井九市郎&才次郎兄弟のハナシ。遠巻きな四十七士の討ち入りのアンチテーゼにも感じる。(浪曲の玉川奈々福師匠はコレを原作に「赤穂義士外伝」として、浪曲をおやりになる) ともあれ野田先生の脳みそはでかい壁みたいな薬箪笥のようでございます。
== 関連作品 ==
* [[赤垣源蔵]](日活)1929
* [[赤垣源蔵 討ち入り前夜]](日活)1938

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