間喜兵衛


間喜兵衛【はざま きへえ】…無口キャラ。律儀、謹直、寡言、無骨。木強漢(ぼっきょうかん)。

すごくおとなしいシャイな人だったそうで、人が見ると腹でも立ててるのかと誤解するほど寡黙。そのくせ存外に正直者だった。

討ち入りにはこの人の長男次男も参加している。


近江の名族、蒲生(がもう)氏の出。父親が殺人事件を起こして仇討ちを避けるために赤穂へ逃げた。そこで時の領主・浅野長直に召し抱えられてから、ここんちの家来。

凶変後は江戸で岡嶋兄弟、貝賀と江戸に来て(地味な班!)、江戸では杣荘喜斎(そましょう きさい)という名で医者に化けた。


息子・十次郎と麹町に住んでたが、他家に行ってたのにそこを脱走した次男・新六がメンバーに加えてほしいと訪ねてきたのをキッパリ断っている。新六は内蔵助に直訴して、なんだかんだで最後のメンバー加入を許された。


仇討ちのあと、細川家に預けられていたとき、馳走役の堀内伝右衛門が取材に来て「この中に一番槍の人がいるってうかがったんですが」と言うと、弥兵衛が「あの隅でニガい顔をしてる間さんところの子、十次郎さんが第一に槍をつけたんじゃよ」と教えてくれるんで、伝右衛門が喜兵衛の脇に寄ってきて「いやあ素晴らしいご子息をお持ちになり、ご恐悦を申し上げます」と言ったら、喜兵衛さん、ニヤニヤっと笑った。

この人が笑ったのは、この日がはじめてだったそうであります。


間瀬久太夫となかよしだったとか。


享年69。


里見版忠臣蔵」では高品格が演じたが、伝えられる人物像とはかけ離れている。

この作品では親子キャラとしてクローズアップされていた。

ファミリーでメンバーに参加してて欲張りだみたいなことを言われるとこう反論するシーンがあり「何の!それを申すなら十内殿はもっと欲張りじゃ!養子の幸右衛門殿に、その兄の大高源五。さらに、甥の岡野金右衛門殿に、その従兄弟の間瀬久太夫殿、その子の孫九郎殿に、そのまた従兄弟の中村勘助。なんと一族ざっと七人もじゃ!これほどの欲張りがまたとあろうか!」とほとんど説明みたいなセリフを言って、当時のテレビの前の少年たちは「そうなんだぁ」と知恵がついた。


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