間瀬孫九郎

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間瀬孫九郎【ませ まごくろう】…間瀬久太夫の長男。

正路潔白の度が過ぎておもしろくない男。

友「貴公のような片物(へんぶつ)じゃあ同僚のつきあいができん。一緒に女郎買いに出かけよう」

孫「瘡(かさ)をかいて鼻でも落ちたら侍のつとめができぬ」

友「バカだなあ。鼻が落ちるの骨がらみだのというのはよっぽど運の悪い万人に一人だ。」

大阪蔵屋敷の在勤が決まったとき、先輩が「あんな無骨じゃ大阪商人とやりとりができん」とウザがり、色香にまよわそうとしたり、橋の上から大きな石を落として殺そうとするので孫九郎はキレて先輩達を殺して死体にまたがって切腹しようと計略するが、部下の大助(小野寺十内の家来)に「堪忍が第一」止められる。

暗殺実行犯、ちんぴらの半助は孫九郎の手裏剣を食らって片目をつぶされるが、「自分は関係ないのに傷を負わされた」としらばくれて子分を使って孫九郎宅へゆすりに行かせる。ここもグッと堪忍して翌日大助が賠償金を持って出かけてみると半助は行方知れずの大助の弟だった!「おまえ、親不孝の末行方知れずになったかと思ったらこんなていたらく!」嘆く兄。親の忌日も知らず悪いことやった罰に片目を失ったと反省した半助は寝返り、兄・大助や孫九郎の手下となって、悪い先輩達をやり込める作戦に出る。


事件前、芝居小屋でもめたチンピラを斬り殺してしまったかどで退役。一時、浪人をしていた。1年ほど謹慎してから帰参したら「松の廊下事件」。

討ち入りの時「山」つって「山」と答えた吉良の家来、鳥居理右衛門と戦った。

引き揚げの最中、宇田川町近辺で5〜6歳の子供が寄ってきて血まみれ装束の孫九郎に「おっちゃん、だいとくれ」とリクエスト。袖紋をあげてだっこしながら自分の子供を思い出して行進を続けていると、子供のお母さんがやってきて「すいません、うちの子がどんな粗相をしたかは存じませんが生き血を吸うのだけはご勘弁下さい」とビビって嘆願した。

この子がなぜかその後も泉岳寺参りをやめないので、親の伊勢屋半兵衛(とか米屋の北国屋半三郎とか)はなにかの因縁と、泉岳寺に付け届けをしたと申します。


享年23。

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