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阿久里/瑤泉院

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[[画像:yozenin.jpg|thumb|役者絵:宮沢りえ]][[画像:nanbu.jpg|thumb|瑤泉院の屋敷跡を示す赤坂氷川神社の一角と南部坂。09.11撮影]][[画像:yozeinsama.jpg|thumb|鳳源寺の瑤泉院の石像。17.7撮影]]
阿久里/瑤泉院【あぐり/ようぜんいん/ようぜいいん】
後家になった瑤泉院に内蔵助がハリガタを見舞いに届けるが「細かりし、由良之助」と悔やんだという逸話もある(ウソ)。
 
 
広島県三次の初代藩主に浅野長治(娘が瑤泉院)が建立した鳳源寺(ほうげんじ:広島県三次市三次町1057)には瑤泉院の像と、遺髪塔があり、四十七士の木像もあります。
内蔵助がウソの再就職(農民や町人になると言うこともある)のハナシをするときの瑤泉院のリアクションはさまざまで、怒りをあらわにしないがお線香だけは許さないとか、キレた戸田の局をたしなめて内蔵助をかばうこともあったり、そうかと思うと「二十四時(じゅうにとき)忠臣蔵」という歌舞伎では殿様の'''位牌で内蔵助をぶん殴る'''という演出もある。という演出もある。殴るについては「[[尾上松之助の忠臣蔵]]」でも扇子で「こう!こう!」と叩いている。そのあと癪でおなかが痛くなる。 「[[忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻]]」のように、アイコンタクトで内蔵助の心中を察するのは稀で、明治時代の講談本ではすでに上記のようにもめている。昭和初期の「元禄忠臣蔵」では最初に誤解してあとで内蔵助当人に弁解する。  講談本には陽成院(ようせいいん)とするものもある。   * [http://blog.kusuya.net/?day=20170731 忠臣蔵ブログ「ひろしま忠臣蔵(1)」](もりいの三次ルポ)
* [http://blog.kusuya.net/?day=20180725 忠臣蔵ブログ「ひろしま忠臣蔵(4)」](その後の三次ルポ)

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