馬食らいの丑五郎
馬食らいの丑五郎【うまくらいのうしごろう】…東海道浜松の馬子。
ドングリ目で髭だらけ。おしりも毛で真っ黒。つらは鳶色(とびいろ)。
自分に噛み付いた馬の太ももの肉をそいで食べたことからこのあだ名がつく。当時の肉食はなかなか乱暴なイメージ。
なじみの茶屋で酒を飲んでるときに居合わせた神崎与五郎に難癖を付け、詫び状文まで書かせるが、その後赤松龍山という講釈士の軍談から、詫び状のサインとメンバーの名前が合致し、あの侍が赤穂義士だったとわかり、自分の非礼を悔いて頭を丸め、60余州の宮寺を詣で、神崎の後世をとむらった(or 泉岳寺の墓前へ詫びる)。
峠のエピソードには茶屋のとなりの花屋のおじさんが仲裁に入るエピソードもある。
役者絵の小松方正は「ミフネ版」で丑五郎をやっているが、その数年前に「あゝ忠臣蔵」でも駕籠人足という設定で丑五郎をやっている、屈指の丑五郎役者であります
そもそも講談師の創作なので現場が箱根とする場合もあり、実際に箱根にはこのエピソードを等身大フィギュアにして展示している。
関連作品
関連項目
*神崎与五郎(侮辱する相手)