「つか版・忠臣蔵」の版間の差分

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「元禄赤穂事件」VS「忠臣蔵」
 
「元禄赤穂事件」VS「忠臣蔵」
  
見てるほうの体温が2度ほど上がる、強壮剤みたいな不思議な効力がある(イイ意味でも悪い意味でも)。
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とはいえ、カタチだけ赤穂事件のアウトラインを借りてるだけで、そのほとんどがオフザケに演出され(瑤泉院が売春したり、メチャクチャ)、とにかく「とるにたらないことだって戯曲化されることによってこういうふうに盛り上がるのだ」という、そっちがメインになっている。
  
「喜劇」と言うには、ところどころユーモラスなだけで、まったく爆笑にはつながっていない。あくまで忠臣蔵やお笑いを楽しむと言うより「つかこうへいワールド」を楽しむために生まれてきた作品。
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見てるほうの体温が2度ほど上がる、強壮剤みたいな不思議な効力がある(<イイ意味でも悪い意味でも)芝居(番組)だが、「喜劇」と言うには、ところどころユーモラスなだけで、まったく爆笑にはつながっていない。あくまで忠臣蔵やお笑いを楽しむと言うより「つかこうへいワールド」を楽しむために生まれてきた作品。(ごひいきに言わせれば、"いいころ"の作品な筈である。)
  
  
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とどのつまり、これは「つかファン向け」で「大衆向け」ではない。
 
とどのつまり、これは「つかファン向け」で「大衆向け」ではない。
  
間違って見ちゃうと、なんだかよくわからない作品である。ただの「ダメなお笑い」。
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間違って見ちゃうと、なんだかよくわからない作品である。
  
  

2010年7月19日 (月) 17:36時点における版

作品概要
制作会社 テレビ東京
公開年度 1982年
内蔵助役 平田満/岡本麗
評価 2ツ星

原作、脚本、演出つかこうへい。


ビデオパッケージにはドタバタ喜劇と紹介されてるんだけど、本作品はもっとシニカルなテーマをぶちまけている。

忠臣蔵を語る時に忘れてはならない「史実」と「虚構」であります。

「元禄赤穂事件」VS「忠臣蔵」

とはいえ、カタチだけ赤穂事件のアウトラインを借りてるだけで、そのほとんどがオフザケに演出され(瑤泉院が売春したり、メチャクチャ)、とにかく「とるにたらないことだって戯曲化されることによってこういうふうに盛り上がるのだ」という、そっちがメインになっている。

見てるほうの体温が2度ほど上がる、強壮剤みたいな不思議な効力がある(<イイ意味でも悪い意味でも)芝居(番組)だが、「喜劇」と言うには、ところどころユーモラスなだけで、まったく爆笑にはつながっていない。あくまで忠臣蔵やお笑いを楽しむと言うより「つかこうへいワールド」を楽しむために生まれてきた作品。(ごひいきに言わせれば、"いいころ"の作品な筈である。)


「廊下フェチ」で少し足りない浅野内匠頭が梶川与惣兵衛につきとばされてそこにいた吉良に刃傷事件を起こし即日切腹。江戸在勤の家老・内蔵助は文盲の内匠頭のために宝井其角に辞世を依頼する。吉良も赤穂浪士も大間抜けばかり。

失恋でへこんでいた其角はこれをきっかけに事件を美談の芝居にしようと奮起し、上方の近松門左衛門に会いにいく。

この物語は風間杜夫演じる宝井其角(ここでは劇作家)の青春ストーリー。


うっかり本作品を「忠臣蔵」を見るつもりで見てしまうとつかの「おう!ほかには無いだろこんなアプローチ!オレならこうするぜ!」観ばかりがハナにつき、なんだか青筋立てて勉強してる片手間にセックスしてるつかを見せられてるような居心地の悪ささえ感じてしまう。

役者も観客を楽しませようというサービスよりも、つかこうへいを喜ばせようとがんばってるかんじで「"喜劇"という課題をクリアしようと一生懸命になって汗をかいている」芝居の特訓を延々と見せられてるよう。

風間杜夫が慢性的に汗と涙とツバでベチョベチョになりながら、必死でひたむきなのが気の毒で、松坂慶子が素直な態度でがんばってるのがかいがいしい。


とどのつまり、これは「つかファン向け」で「大衆向け」ではない。

間違って見ちゃうと、なんだかよくわからない作品である。


劇中劇の大石内蔵助=岡本麗が印象によかった。

あとで考えると彼女だけ「忠臣蔵」していたからだと思う。ヒイキにとってはどんなよくできた作品でも結局「忠臣蔵をやってる」部分がパーッと映えて見えるのだ。たとえば「薄桜記」も傑作だが、結局赤穂浪士のカツシン(助演)に涙してしまう。


時代はこのあと、80年代半ばからバブルにかけて小劇団やアングラ演劇の人気がグイグイ出始め、おいやられるように「8時だヨ!全員集合!」や「吉本新喜劇」がすたれてゆく。