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吉良上野介

198 バイト追加, 2022年10月18日 (火) 17:17
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 討ち入りされて一家断絶になっちゃったが、吉良さんはなにげに'''三河では今も名君として評判がいい'''。
・・・とは言うものの、悪者だって家に帰れば良き夫、良き父にかわることはよくあることで、領地からしぼりとらなくたって吉良ほどの財産と名声があればなおのこと……とは池波正太郎氏の談。<small>(「戦国と幕末」角川文庫/「忠臣蔵と日本の仇討ち(中央公論社<「歴史と人物(S46.12月号)」抜粋)」)</small>だが一説には、当時の吉良氏は赤字だったとも言われ、地元農民が新田開発をがんばった際は免税となり、収入も無い時もあったとか。(要確認)
 現代にも一部が残る堤防を作ったことと、農耕用の駄馬にまたがって現場を視察したと伝えられる親近感が、名君の根拠となっている(要確認)が、そのあたりがうまく構成されているのが、稲田和浩先生作の浪曲「赤馬の殿様」である。東家孝太郎師匠の持ちネタ。

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