その後、東宝が映画界進出に乗り出し、吉本とも提携。当時、林正之助(のちの吉本興業会長)は東宝の取締役に就任している。
1939年。松竹がごっそりとタレントを引き抜く「新興引き抜き騒動」に於いて、残留した川田晴久(←ほかの1939年。松竹(新興キネマ演芸部?資本がいっしょ)がごっそりとタレントを引き抜く「新興引き抜き騒動」に於いて、残留した川田晴久(←ほかの"あきれたぼういず"メンバー坊屋三郎、芝利英、益田喜頓らは持っていかれた。)、大スター柳家金語楼、そして映画だけ吉本と契約していた広沢虎造らが、この映画をささえてくれている。<small>(参考:「吉本興業 百五年史」)</small> カンカンになった吉本興業は「●クザを雇って、坊屋三郎たちを●す」と言っていたとか。<small>(森光子 談「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」p160 竹中労 ちくま文庫)</small>