忠臣蔵 天の巻/地の巻

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作品概要
制作会社 日活太秦
公開年度 1938年
内蔵助役 阪東妻三郎
評価 3ツ星
レーザーディスク 1991年にっかつ
東宝配給の改訂総集版(なんそれ?)ポスター


東西オールスターキャスト。30歳代の知恵蔵は台詞が明瞭(早口だけど)。

かなりスタンダード。

公開当時、空前の大当たりを取った作品。(昭和33年「アサヒ芸能」NO.614)

封切り前日に出演者全員で泉岳寺にお墓参りに行って(自動車数台のパレードに、沿道は人だかり)(註釈01)、そのあと浅草や新宿の封切り館で、役者の舞台挨拶(当時は珍しかったという)をするという、大プロモーションも行われた(特に阪妻やアラカンはそういうのをしないので有名だったとか)。経営難の日活が黒字に転じたという。(田山力哉「千恵蔵一代」社会思想社)


衣装のデザイン(柄など)が知る中では最もPOP。

(古いスチルとか見ると、昔の作品になるに従って衣装のデザインが凝ってる。「実録忠臣蔵」もそうとうPOP。)


エピソードtoエピソードというテンポで、サクサク話が進む。あんまりサクサクしてるので吉良が浅野をいじめようと思うきっかけが浅薄で、進物が気に入らなかったわりにはイジメの度合いが徹底的で、そこまでするか?これじゃあ吉良さん少し頭がおかしいだろ!?というぐらい悪人になってる。また、吉良をやってる役者の山本嘉一(セリフに句読点が多い)という人が知る限りでもっとも憎々しげなお顔立ちなのでステロタイプここに極まれり。


古い作品なので音声の悪さと「さようしからば」調の侍言葉が相まって、初めてみた時はなにをしゃべってるのかよくわかんなかった。何十本も忠臣蔵見て各エピソードが頭に入ってから見直したら、この作品が実はひじょうに丁寧でよくできていて、バンツマのキャスティングに象徴されるように全体がスマートでコンパクトだということがわかったが、ビギナーには難儀かもしれません。

大評定のシーンで、すげえ悪役な声が会場に響いてるんで大野九郎兵衛が進行役やってるのかと思ったらバンツマ演じる内蔵助のダミ声だった(笑)。


全体のエピソードに比べて「大石東下り」がたっぷりしている。内匠頭との二役を演じる千恵蔵の立花左近と、内蔵助との面会シーンは、BGMの長唄「勧進帳」(そもそも、立花左近とのシーンは安宅の関の芝居に合わせた楽劇)の一節を聴かせる尺に演技を併せるようにしているのが印象的。

ウソの身分証を出す緊張感や、さっそうと帰っていく立花左近に、「勧進帳」の抑揚がばっちりハマっている。


<附言>

 戦争をまたいで20年後くらいに映画の全盛期を迎えたころ、日活も石原裕次郎や赤木圭一郎など、大スターを抱えて東映と人気争いでしのぎを削るが、それまでは戦時中に業績不振から立ち直るのに時間がかかり、新会社として映画製作をする際には、人材の引き抜きを防止するためにむすばれた東宝、松竹、大映、新東宝、東映の五社協定からハブられており、興行的には赤字続きだったとか。

 そんなわけで、各社が作った「オールスター出演忠臣蔵映画」は日活だけは制作していない。ただ、「警察日記」「幕末太陽傳」など作品の質はあげていった。

 裕ちゃんのヒューマンドラマや、小林旭や赤木圭一郎らによる"無国籍アクション"で、興行的にも一時は持ち直した日活ではあったが、堀久作社長の多角経営の失敗など足かせもあってか、忠臣蔵のような大型時代劇を企画できるほどの制作体力までは回復していなかったようだ。

 合併前から数えれば、長い歴史を持ち、しかも戦前まではたくさん忠臣蔵をリリースしてきた日活だけに、まことに残念なことであります。

 忠臣蔵映画製作は、「作り得る撮影所が立派に大人として成長した会社だという証拠」(マキノ省三監督の言葉だったと思うby南部僑一郎「別冊近代映画 昭和34年2月号」)

 その後、映画界が微妙な空気に包まれていた70年代という時期に、日活は「戦争と人間」三部作とか作って意地を見せている。


註釈01…嵐寛寿郎の記憶では「京都から(鉄道の)二等車買いきって妻さん以下全員で上京しました。東京駅から自動車を30代つらねて、皇居の前で天皇陛下バンザイ。泉岳寺で義士の墓参、(略)ファンが大勢押し寄せて、憲兵隊が出た。泉岳寺でそば食うて、靖国神社に参拝しました。大祭でもこれほど人出はないと、宮司さん言うてはりましたで。宣伝大当たりやった。」(「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫)