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舞台美術の朝倉摂先生は、80年代にこう嘆いておられた。
「よく 今後 歌舞伎はどうなるか?という声があるが、たしかに今行なわれているような歌舞伎そのままでは、どうにもならないように思う。 やる気のみえない俳優と、広すぎる空間、ものを食べながら観る気のない客席、こうした出あいは歌舞伎にとって大変に不幸なことである。」歌舞伎はどうなるか?という声があるが、たしかに今行なわれているような歌舞伎そのままでは、どうにもならないように思う。やる気のみえない俳優と、広すぎる空間、ものを食べながら観る気のない客席、こうした出あいは歌舞伎にとって大変に不幸なことである。」<small>(「歌舞伎」1983年講談社)</small>
先生はその後「ヤマトタケル」の美術をご担当になって、猿之助丈と共に"型破り"を作り出している。
昭和五十年代まで歌舞伎がいまひとつ盛り上がらないことに「型を真似るだけでは芸の力が細ってゆく」と語った猿之助<small>(「市川猿之助傾(かぶ)き一代」光森忠勝 新潮社)</small>と、息統合したのではあるまいか。
型を体得した上で、それを破った猿之助は、「蛇道」と言われながらも、お客が喜ぶ"エンターテインメント性"を重視していたと思う。