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尾上松之助の忠臣蔵

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最古に近い、通しの忠臣蔵映画と言われているそうです。近代フィルムセンターでは「実録 忠臣蔵」。二条城撮影所誕生111周年では「最古の忠臣蔵」と呼んでいる作品
これがBS2で放送があったときは「明治43年〜大正6年頃」の製作であると、スーパーで入っておりますが、近代フィルムセンターは1910〜12年としている。「日本映画データベース」によると1910年(M43これがBS2で放送があったときは「明治43年〜大正6年頃」の製作であると、スーパーで入っておりますが、近代フィルムセンターは1910〜12年としている。「日本映画データベース」によると1910年(M43)としてあります。初代総理大臣の伊藤博文が暗殺された翌年。とにかくこの映画の43年前は江戸時代ですよ。すごい昔の映画。としてあります。初代総理大臣の伊藤博文が暗殺された翌年。とにかくこの映画の43年前は江戸時代ですよ。すごい昔の映画。
ここまで古いと絵作りも相当いまの「映画」とは様子が違っております。据え置きのカメラがセット(と言っても思いっきり絵を描いたカキワリ〜よしもと新喜劇みたいなアレ〜がうしろにあるだけ)の前で舞台よろしく演技をする役者を淡々と撮ってるだけという、ほんと、「黎明期」というおもむき。厳密に言うと、ほかの映画がつぎはぎで混ざってて、松の廊下の刃傷の時だけ急に奥行きのあるアングルになってる。撮影場所も本当のどこかの大きな廊下(もしくはセット。で、ちなみに衣裳も変わっており、吉良役の役者も違うように見える。)ここまで古いと絵作りも相当いまの「映画」とは様子が違っております。据え置きのカメラがロングショットで、セット(と言っても思いっきり絵を描いたカキワリ〜よしもと新喜劇みたいなアレ〜がうしろにあるだけ)の前で、舞台よろしく演技をする役者を淡々と固定フレームで撮ってるだけという、ほんと、「黎明期」というおもむき。
ていうか、意外に「据え置き」の絵ヅラって基本?こういう構図って黒澤明もやってたですもんね。コレ人間が見ていて安心する構図なのかな。厳密に言うと、ほかの映画がつぎはぎで混ざってて、松の廊下の刃傷の時だけ急に奥行きのあるアングルになってる。撮影場所も本当のどこかの大きな廊下(もしくはセット。で、ちなみに衣裳も変わっており、吉良役の役者も違うように見える。)
ていうか、意外に「据え置き」の絵ヅラって基本?こういう構図って黒澤明もやってたですもんね。コレ人間が見ていて安心する構図なのかな。(加筆:たぶん黎明期で構図を凝らなかったのかと) 「自然光に勝るもの無し」ということもあるでしょうが、たぶん当時のフィルムの感度のせいで屋内シーンもセットを屋外において撮ってるのがよくわかる。背景の掛け軸が風でヒラヒラしてるし、[[戸田局|南部坂]]も屋内なのにカンカン照り。も屋内なのにカンカン照り。(加筆:屋外…というよりグラスステージかも)
言うまでもないがとにかく「ゆるい」。しかしそれがなにもかも、'''愉快でラブリー'''なのであります。ギャグシーンなんぞはちゃんと声を上げて笑える出来映え。シリアスなシーンでも、墓前の吉良の白髪首をセンスでペシペシ叩いたり(<附言:コレ間違い。供養の意味で殿の腹切り刀を首級に当てている。コマ落としっぽくてペシペシしてるように見える。)、陳腐な言い方だが「逆に新鮮」。
女性キャラは[[大石りく|山科の閑居]]も[[浮橋太夫|島原]]でもみんなおっさんが演じています。「男女混合映画」の起源を知りたくなりました。<small>(※註01)</small>
坊主頭はヅラ。ハダカ(刺青姿)は襦袢と、コレも新鮮。
(附言)
トーキーになってからの再編集版と思えるバージョンもあって、2014年にCS衛星劇場で放送した際(大林宣彦監督の解説付き)は、巴うめ子さんなる浪曲師(詳細不明)のうなりで映画が始まり、本編には会話シーンに何人(役者か弁士)かのアフレコが入っていた。トーキーになってからの再編集版と思えるバージョンもあって、2014年にCS衛星劇場で放送した際(大林宣彦監督の解説付き)は、巴うめ子さんなる浪曲師(詳細不明)のうなりで映画が始まり、本編には会話シーンに何人(役者か弁士)かのアフレコが入っていた。(加筆:この再編集版はおそらく1930年代のものらしい。<small>(「時代劇伝説 チャンバラ映画の輝き」岩本憲児 編 森話社)</small>)  ※註01…女優が不在で女形がスタンダードだったことは確かだが、それまでにも1900年代には女芝居の映画があったことは、あったそうであります。活動写真を映画と称するに及ぶ、次のステージへの昇華が「純映画劇運動」なるものによってもたらされ、1918年に「舞台脚本ではなくシナリオを!女形ではなく女優を!弁士ではなく字幕を!」と叫んだ帰山教正監督が女性を出演させる映画を撮り、1920年に松竹が映画製作に乗り出すと、ハリウッドの作り方などの影響で次々に女優が登場するようになり、やがてそれがスタンダードになったようであります。<small>(「日本映画史110年」四方田犬彦 集英社新書)</small> 1924年。尾上松之助の英雄豪傑映画がマンネリ化してることを危惧した義弟の池田富保は、女形を排して女優を使ったり、カットバックなどの編集や、カメラを動かす、と言った撮り方で映画を撮ったが、手間を億劫がった(&新しいやり方についていけなかった)スタッフやキャストから総スカンを喰らい、ほとんど一人でデビュー作「渡し守と武士」を完成させたとか。<small>(「日本映画発達史」田中純一 中央公論社)</small>
・出し抜けに「毎度有難う御座居ます」の文字。
・泉岳寺で[[浅野内匠頭|冷光院様]]の墓前で[[阿久里/瑤泉院|瑤泉院]](と、思ったけど活弁によれば[[戸田局]]である)が現れて、白紙を咥えて扇子で顔を覆うようにしたりして、吉良の頭部を短刀でペシペシして彼女の両脇を[[武林唯七|竹林唯七]](作中の表記ママ)ともうひとりが弓を掲げて3人でポーズする儀式。(<たぶん首実検)(作中の表記ママ)ともうひとりが弓を掲げて3人でポーズする儀式。(<たぶんコレ、鎮魂や浄化、忠義や勝利を意味するの儀式的要素が複合的に表現されている?[[近松勘六]]の記録によると、墓前で首級に短刀を3回当てたとあるので、実際に似たことをやっている。)
などなど。
近代フィルムセンターでは近い将来「最長版」を作りたいと研究員さんがMCでおっしゃってました。(加筆:同年12月、最長版公開に至るが、もりいは赤穂義士祭の実況のお仕事に出かけるため観られなかった(泣)。2021年3月二条城撮影所誕生111周年でも上映。弁士はいずれも片岡一郎さん。)