「元禄あばれ笠〜浪曲忠臣蔵より〜」の版間の差分
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| − | + | じゃっかん「銘々伝」のおもむきなので、項目違いかもな上に、観たのは戦後リバイバル版なんですが、昭和18年公開というのが珍しいので(他作品でも、再演を観たのに初演の時代扱いだったりしてるし)、年表的に戦時中公開映画としてくくりました。 | |
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| − | + | そんな12月「(前線や内地で)健全なる慰安をあたえることを意図して」<small>(<当時の広告より)</small>公開されたらしいのだが、もう釣り鐘や忠犬ハチ公像を溶かして戦車や戦闘機を作ろうっていう時節柄なので、開戦当時は「[[ 元禄忠臣蔵 前篇・後篇|元禄忠臣蔵]]」で、あれだけひろびろした邦画のスケールはどこへやら。どのシーンも四畳半くらいに収まってる質素な印象を感じる。(もっとも時代と関係なく、大作とプログラムピクチャーを比べても詮無きこと。) | |
| − | 「天の巻」は藩をクビになってすっかりツマハジキ者の[[不破数右衛門]]と長屋の友達の話。どれくらいツマハジキかというと、夜に長屋で寝ているところを[[片岡源五右衛門]] | + | 「天の巻」は藩をクビになってすっかりツマハジキ者の[[不破数右衛門]]と長屋の友達の話。どれくらいツマハジキかというと、夜に長屋で寝ているところを[[片岡源五右衛門]]が「死んでくれ」と襲ってくるほど。殿様の墓前で腹を切ろうとした時に居合わせた[[大石内蔵助|内蔵助]]に「心底見えた」と帰参を許される。 |
「地の巻」は[[俵星玄蕃]]と妹・お琴の話。小山屋に女中奉公してる恥ずかしざかりの琴は泊まり客の[[大石主税]]にホの字。「兄が吉良に仕官しそう」と打ち明け、それを又聞きした内蔵助が殿様から拝領した小刀を琴づたいに玄蕃にあげて仕官をやめさせる。(<なにか察したのですな) | 「地の巻」は[[俵星玄蕃]]と妹・お琴の話。小山屋に女中奉公してる恥ずかしざかりの琴は泊まり客の[[大石主税]]にホの字。「兄が吉良に仕官しそう」と打ち明け、それを又聞きした内蔵助が殿様から拝領した小刀を琴づたいに玄蕃にあげて仕官をやめさせる。(<なにか察したのですな) | ||
| − | 「人の巻」は「[[阿久里/瑤泉院|南部坂雪の別れ]] | + | 「人の巻」は「[[阿久里/瑤泉院|南部坂雪の別れ]]」で、…って、ともかく全三部とも浪曲を聴いてもらわないことにはこの「人の巻」も[[紅梅]]が美人だった以外にとりたてて筋立てには魅力が無い。すべてが'''映画法'''<small>※01</small>のもとでこぢんまりとまとまっている。 |
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| + | 討ち入りシーンは無く、15日朝に不破の友達の大工と左官(広沢虎造と柳家金語楼)が川田晴久(地球の〜上に朝がくりゃ〜その裏側は夜だろお〜)のかわら版売りから不破も討ち入りに参加したことを知る。で、幕。 | ||
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| + | 57分作品。オリジナルは73分。なお、改題タイトルにある「元禄あばれ笠」についての意味は映画の内容からは一切不明。 | ||
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| + | ※01…映画法:戦前から戦時中にかけて日本政府が制定した法律で、映画を戦時体制に適合させるため、おちゃらけやよろめきなどの娯楽的要素を規制し、国策や道徳に沿う内容に統制したもの。終戦とともに撤廃。 | ||
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| + | また、当時の国家体制から言うと、討ち入りが無い忠臣蔵を作った背景には予算の関係もあるだろうが、"幕府の命令に背いて主君の仇討ちを果たす"という物語が、当時の「忠義=国家への服従」という価値観に反する反逆的な行為として扱われる可能性がある。 | ||
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| − | + | <附言> | |
| − | + | 吉本興業は1930年代にスポーツや映画といった分野にも積極的に参加していた。日活と提携した製作第一作が、浪曲入映画「佐渡情話」。大ヒットしたそうで、そのときも寿々木米若が参加している。 | |
| − | + | その後、東宝が映画界進出に乗り出し、吉本とも提携。当時、林正之助(のちの吉本興業会長)は東宝の取締役に就任している。 | |
| + | 1939年。松竹(新興キネマ演芸部?資本がいっしょ)がごっそりとタレントを引き抜く「新興引き抜き騒動」に於いて、残留した川田晴久(←ほかの"あきれたぼういず"メンバー坊屋三郎、芝利英、益田喜頓らは持っていかれた。)、大スター柳家金語楼、そして映画だけ吉本と契約していた広沢虎造らが、この映画をささえてくれている。<small>(参考:「吉本興業 百五年史」)</small> | ||
| − | + | 引き抜きにカンカンに怒った吉本興業は「●クザを雇って、坊屋三郎たちを●す」と言っていたとか。<small>(森光子 談「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」p160 竹中労 ちくま文庫)</small> | |
2026年1月9日 (金) 17:28時点における最新版
| 作品概要 | |
| 制作会社 | 東宝/吉本 |
|---|---|
| 公開年度 | 1943年 |
| 内蔵助役 | 月形龍之介 |
| 評価 | |
じゃっかん「銘々伝」のおもむきなので、項目違いかもな上に、観たのは戦後リバイバル版なんですが、昭和18年公開というのが珍しいので(他作品でも、再演を観たのに初演の時代扱いだったりしてるし)、年表的に戦時中公開映画としてくくりました。
浪曲忠臣蔵という題名のとおり、BGM(ストーリーテラー?)的に寿々木米若、梅中軒鶯童、広沢虎造がうなる浪曲と映画のコラボ=「浪曲映画」。
さて、太平洋戦争中で昭和18年と言えばもう、南のほうで日本軍が玉砕したり撤退したり、山本五十六が亡くなったり、上野動物園で動物が毒殺されて、学徒出陣。
そんな12月「(前線や内地で)健全なる慰安をあたえることを意図して」(<当時の広告より)公開されたらしいのだが、もう釣り鐘や忠犬ハチ公像を溶かして戦車や戦闘機を作ろうっていう時節柄なので、開戦当時は「元禄忠臣蔵」で、あれだけひろびろした邦画のスケールはどこへやら。どのシーンも四畳半くらいに収まってる質素な印象を感じる。(もっとも時代と関係なく、大作とプログラムピクチャーを比べても詮無きこと。)
「天の巻」は藩をクビになってすっかりツマハジキ者の不破数右衛門と長屋の友達の話。どれくらいツマハジキかというと、夜に長屋で寝ているところを片岡源五右衛門が「死んでくれ」と襲ってくるほど。殿様の墓前で腹を切ろうとした時に居合わせた内蔵助に「心底見えた」と帰参を許される。
「地の巻」は俵星玄蕃と妹・お琴の話。小山屋に女中奉公してる恥ずかしざかりの琴は泊まり客の大石主税にホの字。「兄が吉良に仕官しそう」と打ち明け、それを又聞きした内蔵助が殿様から拝領した小刀を琴づたいに玄蕃にあげて仕官をやめさせる。(<なにか察したのですな)
「人の巻」は「南部坂雪の別れ」で、…って、ともかく全三部とも浪曲を聴いてもらわないことにはこの「人の巻」も紅梅が美人だった以外にとりたてて筋立てには魅力が無い。すべてが映画法※01のもとでこぢんまりとまとまっている。
討ち入りシーンは無く、15日朝に不破の友達の大工と左官(広沢虎造と柳家金語楼)が川田晴久(地球の〜上に朝がくりゃ〜その裏側は夜だろお〜)のかわら版売りから不破も討ち入りに参加したことを知る。で、幕。
ひじょうにフンワリした、年寄りの世間話みたいな息遣いに満ちた本作は、映画としての出来栄えよりも、その時代背景を考えることで存在意義が際立つ作品です。
浪曲が満州事変から日米開戦頃おおいに流行ったと聞くので(要確認)、忠臣蔵もおなじみだから当時の人は面白かったのかもしれないが、同年に公開の「姿三四郎」(黒澤明デビュー作)に比べると現代においては「残らない映画」といったところか。
おとなしくまとまった本作ではあるが、数右衛門/玄蕃/南部坂…という乱暴なパッケージには実は監督の裏メッセージでもあるのかと、構成意図や時代をアレコレ深読みするのも一興。
実は、見たのは戦後(1953)にマキノ雅弘監督の「次郎長三国志第三部 次郎長と石松」と併映された改題&短縮版(を、東宝ビデオがVHSでリリースしたもの)である。オリジナルタイトルは「浪曲忠臣蔵」。スチルを見ると「田村邸の別れ」を確認できるがこの短縮版ではカットされてしまって存在しなかった。
57分作品。オリジナルは73分。なお、改題タイトルにある「元禄あばれ笠」についての意味は映画の内容からは一切不明。
※01…映画法:戦前から戦時中にかけて日本政府が制定した法律で、映画を戦時体制に適合させるため、おちゃらけやよろめきなどの娯楽的要素を規制し、国策や道徳に沿う内容に統制したもの。終戦とともに撤廃。
また、当時の国家体制から言うと、討ち入りが無い忠臣蔵を作った背景には予算の関係もあるだろうが、"幕府の命令に背いて主君の仇討ちを果たす"という物語が、当時の「忠義=国家への服従」という価値観に反する反逆的な行為として扱われる可能性がある。
<附言>
吉本興業は1930年代にスポーツや映画といった分野にも積極的に参加していた。日活と提携した製作第一作が、浪曲入映画「佐渡情話」。大ヒットしたそうで、そのときも寿々木米若が参加している。
その後、東宝が映画界進出に乗り出し、吉本とも提携。当時、林正之助(のちの吉本興業会長)は東宝の取締役に就任している。
1939年。松竹(新興キネマ演芸部?資本がいっしょ)がごっそりとタレントを引き抜く「新興引き抜き騒動」に於いて、残留した川田晴久(←ほかの"あきれたぼういず"メンバー坊屋三郎、芝利英、益田喜頓らは持っていかれた。)、大スター柳家金語楼、そして映画だけ吉本と契約していた広沢虎造らが、この映画をささえてくれている。(参考:「吉本興業 百五年史」)
引き抜きにカンカンに怒った吉本興業は「●クザを雇って、坊屋三郎たちを●す」と言っていたとか。(森光子 談「聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」p160 竹中労 ちくま文庫)