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{{Cinema|制作=東宝|公開=1962|内蔵助=松本幸四郎8th|星=5|頃=}}
また、配役よりもスケジュール管理が大変だったそうで、三船敏郎([[俵星玄蕃]])と三橋達也([[堀部安兵衛]])が一緒のシーンが多いのはふたりともこのあと黒澤明の「天国と地獄」(も、30周年記念映画)が控えていた都合らしい。三橋は最初[[清水一学]]で当てられていたのが変更になっている。
音楽が伊福部昭なんで、討ち入りの時「ゴジラ」と「海底軍艦」を混ぜたような曲が流れるのがおもしろい。<small>(註02)</small>
製作:藤本真澄 田中友幸 稲垣浩/脚本:八住利雄/監督:稲垣浩
[[浅野内匠頭]]は「赤穂の若大将」加山雄三(ちなみに彼をかばう[[多門伝八郎]]は若大将のお父さん役・有島一郎)。
浅野内匠頭の武士の一分と[[吉良上野介]]の言い分がまことにわかりやすい。東映の橋蔵の内匠頭が孤立無援でイジメに耐えていてすごくかわいそうだったのに対し、'''若大将は超ナマイキ'''なので、喧嘩っぽさが増長され、刃傷までの行程が自然。同輩のなので、喧嘩っぽさが増幅され、刃傷までの行程が自然。同輩の[[伊達左京亮|伊達]]くんが同情してくれてたりするのもいい。人間関係に無理が無く、サムライ言葉も極力現代語にしてる感じで21世紀の人間が見ても共感しやすい。
コミカルな要素もちゃんと入ってるところもエンターテインメントの基本をクリア。スタイリッシュというか都会的と言うか絵柄が清々しくどことなくのびのびしていて品がある。(人気お笑い俳優ユニット、脱線トリオが出ているが、ちょうど八波むと志が由利徹と仲をたがえたあとで場面が別。)
ラスト、討ち入り前はそば屋で仲間を待つ浪士たちのシークエンスにたっぷり時間を取ってるのも独特。
== 当時の評価 削除された裏設定 ==[[画像:scenario.jpg|thumb|シナリオ決定稿]]
この作品は、これまで他社(東映や大映)の忠臣蔵映画の興行成績が首位だったのに比べると、公開当時、かろうじてベストテンに入っているものの下位で振るわず、当時の『キネマ旬報』誌上では「(「用心棒」とかで)時代劇に新風を巻き起こした東宝が東映と変わるところがない」「まともすぎて仕掛けがない。立派すぎるんだ」「つまり東宝は柄にもないことをやったわけだ」と酷評されている。
== 註釈 ==
本作で[[堀部弥兵衛]]を演じている小杉義男は黒澤映画にも本多猪四郎作品にもご常連のベテランなのだが、大部屋さんの印象があり、東映では薄田研二さんがやってる役どころを、名バイプレイヤーの小杉さん(好きだけど)…というのは、もりいが忠臣蔵ビギナーだった頃からの違和感。有島が無理ならふだん東宝映画に貢献している東野英治郎や左卜全が出演していないが、彼らあたりでどうにかならなかったのだろうか?(こういうことでで悩むのが、好き) …<附言>ただ、小杉さんは、同じく東宝の「[[四十八人目の男]]」で、[[堀部安兵衛|安兵衛]]を演じてることを思うと、父子両方を演じためずらしい役者になる。
「そこはやっぱ三船でしょう。若いったってねえ、翌年に『赤ひげ』撮ってるんだし(公開は延びて'65に)」と春日太一さんとご一緒したときおっしゃってた。ちなみに氏のごひいきは「65に)」と春日太一さんとご一緒したときおっしゃってた(この意見「やっぱり三船でしょう」は公開当時の大橋重勇キネ旬編集長もそう言っている<small>(『キネマ旬報』No.329号通巻1144号「1962年のトピックを語る」P53)</small>)。ちなみに春日氏のごひいきは「[[赤穂浪士 天の巻・地の巻]]('56)」。(この「花の巻雪の巻」は「雑」と言ってた笑。何シーンか討ち入りが昼間だし、東宝歌舞伎のことがあってしょうがないけど白鸚キャスティングにも一家言。)」。(この「花の巻雪の巻」は「雑」と言ってた笑。何シーンか討ち入りが昼間だし、東宝歌舞伎のことがあってしょうがないけど幸四郎キャスティングにも一家言。)
ちなみに東宝娯楽映画といえばクレイジーキャッツの映画シリーズも忘れてならないが、1本目の「ニッポン無責任時代」が本作と公開年が同じで、その後人気シリーズとして東宝の屋台骨を支えるものの、そもそもは「添え物映画(2本立て興行のB面的な作品)」であり、この時点では東宝映画への貢献は無いのでクレイジーのメンバーの出演は無い。数カ月後に本作の公開が控えてるので宣伝を意識してか、夏公開の「ニッポン無責任時代」には「忠臣蔵」というワードが数回出てくる。
註03,04…オープニングが勅使下向だとか、モブシーンとかは8年前の「[[忠臣蔵 花の巻・雪の巻 (松竹)]]」でも、あるっちゃあ、ある。
実際に、映画産業の隆盛のいっぽうで演劇が厳しくなっていた当時、東宝が松竹の向こうを張って「東宝カブキ」を始めたわけで、この動きは松竹の独占的な歌舞伎興行体制に対する挑戦という側面を持っていたんじゃないだろうか。
そもそも遡れば、宝塚歌劇を創ったりしてた実業家の小林一三が、東京有楽町をアミューズメント化しようとして東宝を作った頃(戦前。昭和初期)から、松竹(小林氏は松竹の顧問もやってたが)は商売ガタキとして東宝チェーンを敵視し、経営方針をパクったり、日活(アンチ松竹)と東宝が手を組もうとしてるところに割って入ったり、ずっと不仲ではあった。<small>(「日本映画発達史 2」田中純一郎 中央公論社 )</small>
註07…こうした「削除されたのかな?」と思わせるシチュエーションはほかにも、たとえば[[堀部安兵衛]]が[[俵星玄蕃]]と飲んでて赤穂浪人の悪口を言ったであるとか、台詞ベースだけで存在しないシーンがいくつかある。
自分を親の仇と付け狙う若者の名前を[[萱野三平]]がなぜ知りえたのかとか、先述の[[堀部安兵衛|安兵衛]]が[[俵星玄蕃|玄蕃]]に言う「赤穂浪人の悪口をほざいた」というシーンもカットされたのではなく、そもそも脚本に無い。短いシチュエーションやセリフから「推して知れ」ということだった。(昭和の映画っぽいなー)
註08…ここでは、2022年7月の、国立映画アーカイブ(長瀬記念ホールozu)の「東宝の90年 モダンと革新の映画史」で本作が上映されたときについて触れています。
画像:Hananomaki.jpg|thumb|海外版ポスター(2014年フランス、ナントのサムライ展より)
画像:bunsyun62.jpg|thumb|週刊文春'62.7/2号より 佐藤允の役に誤記。
画像:match.jpg|thumb|ノベルティのマッチ♡。ノベルティのマッチ♡。宣伝費は三千万円以上(当事)使ってるとか。画像:1962hanayuki.jpg|thumb|公開当時のパンフレット。
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