また、配役よりもスケジュール管理が大変だったそうで、三船敏郎([[俵星玄蕃]])と三橋達也([[堀部安兵衛]])が一緒のシーンが多いのはふたりともこのあと黒澤明の「天国と地獄」(も、30周年記念映画)が控えていた都合らしい。三橋は最初[[清水一学]]で当てられていたのが変更になっている。
三船を内蔵助に推す声も多かったそうだが(でしょうねえ)、「まだ若い(幸四郎の10歳下)。三船くんの内蔵助はこれからいつでも出来る。」と藤本真澄プロデューサーが言っている。(週刊文春 三船を内蔵助に推す声も多かったそうだが(でしょうねえ)、「まだ若い(幸四郎の10歳下)。三船くんの内蔵助はこれからいつでも出来る。」と藤本真澄プロデューサーが言っている。<small>(週刊文春'62.7/2号)</small><small>(註01)</small>
音楽が伊福部昭なんで、討ち入りの時「ゴジラ」と「海底軍艦」を混ぜたような曲が流れるのがおもしろい。<small>(註02)</small>
製作:藤本真澄 田中友幸 稲垣浩/脚本:八住利雄/監督:稲垣浩
原節子出演映画の最後の作品でもある(ほとんどアップが無い)。 原節子出演映画の最後の作品でもある(ほとんどアップが無く、これと言って演技の見せ所がない役)。[[大石りく]]のイメージには自分の柄が合わないということで、けっこう出演を拒んだと言われているそうだ。史実ではイメージぴったりなんだけどなぁ。
本作で[[堀部弥兵衛]]を演じている小杉義男は黒澤映画にも本多猪四郎作品にもご常連のベテランなのだが、大部屋さんの印象があり、東映では薄田研二さんがやってる役どころを、名バイプレイヤーの小杉さん(好きだけど)…というのは、もりいが忠臣蔵ビギナーだった頃からの違和感。有島が無理ならふだん東宝映画に貢献している東野英治郎や左卜全が出演していないが、彼らあたりでどうにかならなかったのだろうか?(こういうことでで悩むのが、好き) …<附言>ただ、小杉さんは、同じく東宝の「[[四十八人目の男]]」で、[[堀部安兵衛|安兵衛]]を演じてることを思うと、父子両方を演じためずらしい役者になる。
「そこはやっぱ三船でしょう。若いったってねえ、翌年に『赤ひげ』撮ってるんだし(公開は延びて'65に)」と春日太一さんとご一緒したときおっしゃってた(この意見「やっぱり三船でしょう」は公開当時の大橋重勇キネ旬編集長もそう言っている<small>(『キネマ旬報』No.329号通巻1144号「1962年のトピックを語る」P53)</small>)。ちなみに春日氏のごひいきは「[[赤穂浪士 天の巻・地の巻]]('56)」。(この「花の巻雪の巻」は「雑」と言ってた笑。何シーンか討ち入りが昼間だし、東宝歌舞伎のことがあってしょうがないけど白鸚キャスティングにも一家言。)」。(この「花の巻雪の巻」は「雑」と言ってた笑。何シーンか討ち入りが昼間だし、東宝歌舞伎のことがあってしょうがないけど幸四郎キャスティングにも一家言。)
ちなみに東宝娯楽映画といえばクレイジーキャッツの映画シリーズも忘れてならないが、1本目の「ニッポン無責任時代」が本作と公開年が同じで、その後人気シリーズとして東宝の屋台骨を支えるものの、そもそもは「添え物映画(2本立て興行のB面的な作品)」であり、この時点では東宝映画への貢献は無いのでクレイジーのメンバーの出演は無い。数カ月後に本作の公開が控えてるので宣伝を意識してか、夏公開の「ニッポン無責任時代」には「忠臣蔵」というワードが数回出てくる。
註03,04…オープニングが勅使下向だとか、モブシーンとかは8年前の「[[忠臣蔵 花の巻・雪の巻 (松竹)]]」でも、あるっちゃあ、ある。
それにしても、まったく同じ題名を掲げ、しかもこの映画の公開前年に松竹から東宝に移籍した白鴎を、あらためて内蔵助に立てて、特徴的なシーンまでかぶるあたりは、なにかしら挑発的なキナ臭さを感じる。それにしても、まったく同じ題名を掲げ、しかもこの映画の公開前年に松竹から東宝に移籍した幸四郎を、あらためて内蔵助に立てて、特徴的なシーンまでかぶるあたりは、なにかしら挑発的なキナ臭さを感じる。 実際に、映画産業の隆盛のいっぽうで演劇が厳しくなっていた当時、東宝が松竹の向こうを張って「東宝カブキ」を始めたわけで、この動きは松竹の独占的な歌舞伎興行体制に対する挑戦という側面を持っていたんじゃないだろうか。 そもそも遡れば、宝塚歌劇を創ったりしてた実業家の小林一三が、東京有楽町をアミューズメント化しようとして東宝を作った頃(戦前。昭和初期)から、松竹(小林氏は松竹の顧問もやってたが)は商売ガタキとして東宝チェーンを敵視し、経営方針をパクったり、日活(アンチ松竹)と東宝が手を組もうとしてるところに割って入ったり、ずっと不仲ではあった。<small>(「日本映画発達史 2」田中純一郎 中央公論社 )</small>
実際に、映画産業の隆盛のいっぽうで演劇が厳しくなっていた当時、東宝が松竹の向こうを張って「東宝カブキ」を始めたわけで、この動きは松竹の独占的な歌舞伎興行体制に対する挑戦という側面を持っていたんじゃないだろうか。1950年代の松竹さんの評判は相当およろしくない。<small>(キネマ旬報NO.184/「市川雷蔵と勝新太郎」中川右介 角川書店…ほか )</small>ちなみにその頃、松竹から東宝に移籍した長谷川一夫は、暴漢に顔を切りつけられて大怪我をしている。
1950年代くらいまで、松竹さんの評判は相当およろしくない😅。<small>(キネマ旬報NO.184/「市川雷蔵と勝新太郎」中川右介 角川書店…ほか )</small>
戦後、幸四郎は松竹に不満を持っていたそうで、1958年の黒澤映画「隠し砦の三悪人」に幸四郎が出られなかったり(←当てられていた役は藤田進に変わった)、松竹と東宝はお仲が悪かったようです。主演の幸四郎にしても、1958年の黒澤映画「隠し砦の三悪人」に幸四郎が出られなかったり(←当てられていた役は藤田進に変わった)、戦後、松竹に不満を持っていたようです。<small>(「偽りの民主主義〜GHQ、映画、歌舞伎の戦後秘史〜」 浜野保樹 角川書店 )</small>
註06…前述の黒澤映画「天国と地獄」もだが、「キングコング対ゴジラ」(2025年現在、ゴジラシリーズ最高の観客動員作品)もこの年公開の東宝創立30周年記念映画である。ちなみにこの映画公開の前年1961年は「映画観客、急速に減少し始める」年だったという<small>(日本の映画史(4)p278佐藤忠男 岩波書店)</small>。
(加筆:「一人勝ち状態」と書きましたが、この年の日本映画の配給収入トップ10だけを見ると、たしかに東宝が東映をやや上回っている。ただし、業界全体の配給収入や配当まで含めて見ると、意外に東映のほうが強い可能性がありますな。(要検証))(加筆:後世に残る有名な作品が何本もランクインしてたので、つい「東宝一人勝ち状態」と書きましたが、この年の日本映画の配給収入トップ10だけを見れば、たしかに東宝が東映をやや上回っている。ただし、業界全体の配給収入や配当まで含めて見ると、このころは東映のほうが強い可能性があります。(要検証))