「四十七人の刺客」の版間の差分
細 |
細 |
||
14行目: | 14行目: | ||
お気の毒な赤穂の「義士」というより、城を無くして野に放たれた狂犬の群れというような「特殊部隊」的なイメージの四十七人。 | お気の毒な赤穂の「義士」というより、城を無くして野に放たれた狂犬の群れというような「特殊部隊」的なイメージの四十七人。 | ||
+ | |||
+ | あたし・もりいの「忠臣蔵」の解釈だが、武芸をたっとぶお家柄の浅野家を怒らせた、というアプローチは現代においての表現には大切だと思う。 | ||
+ | |||
+ | 昭和まではなんとなく「虐げられてる外様大名」みたいなお気の毒っぽい色合いだったが、コレからは「かたきうち」という価値観はお江戸の民衆の勝手次第にさせて、四十七士はともかく「怒れる人々」が集結して、殿がやろうとした「とどめ」をさしに行く!というほうが鑑賞者の共感を得られるんじゃなかろうか。だからこそ、ボスキャラの吉良は家柄もバックもしっかりしてる強敵にしたほうがいい。 | ||
2013年11月2日 (土) 13:04時点における版
作品概要 | |
制作会社 | 東宝 |
---|---|
公開年度 | 1994年 |
内蔵助役 | 高倉健 |
評価 |
いわゆるリメイクというよりもリ・イマジネーション。
ビジュアル的にもっともクールな撮り方の忠臣蔵。とにかくカッコイイ。
東映の集団抗争時代劇『十三人の刺客』の脚本家・池宮彰一郎の原作。
市川崑監督作品。
全体のムードは「はかりごと」でもいいましょうか、作戦本意の、もうほとんどまったく新しく構成し直した怪作(いい意味で)。
「お軽」を丁寧に描いてたり原惣右衛門と上杉家の関係に言及したり、フィクションにしても色部又四郎と柳沢が通じて策を練るとか、討ち入りにケータリングがあるなど、ほかでは描かれてない工夫や新解釈がいっぱいの楽しい娯楽作品。。
お気の毒な赤穂の「義士」というより、城を無くして野に放たれた狂犬の群れというような「特殊部隊」的なイメージの四十七人。
あたし・もりいの「忠臣蔵」の解釈だが、武芸をたっとぶお家柄の浅野家を怒らせた、というアプローチは現代においての表現には大切だと思う。
昭和まではなんとなく「虐げられてる外様大名」みたいなお気の毒っぽい色合いだったが、コレからは「かたきうち」という価値観はお江戸の民衆の勝手次第にさせて、四十七士はともかく「怒れる人々」が集結して、殿がやろうとした「とどめ」をさしに行く!というほうが鑑賞者の共感を得られるんじゃなかろうか。だからこそ、ボスキャラの吉良は家柄もバックもしっかりしてる強敵にしたほうがいい。
最初のほうで、高倉健の大石内蔵助が劇画から飛び出したようなあまりのカッコよさなので、後半の討ち入りに期待をしちゃうのだが、残念なことに吉良屋敷に妙な仕掛けからくりが多く(これもオリジナリティのひとつではあるのだが…)、おかげでテンポが崩れ、痛快な討ち入りシーンには仕上がっていない。このリズムの転調は、なんだか惜しい。市川崑監督ってアクションが静かなんだよなー。緊張感はあるけどワクワクはしない。
また、定石をいろいろぶちこわしてるので、画面の中で誰が誰と会ってなにを話をしてるのかビギナーが漫然としてると、ちょっと置いて行かれる。登場人物の重要性も伝わらない。このアレンジの妙を楽しめるほど、現代人の頭には下地が無いのだ。だからカケダシ当時のあたしにとっては最初星ふたつの映画だった。
だが、あるていど「忠臣蔵」のベースが頭に入ってからあらためて観てみると「そうきたか」と愉快に観られる。
高倉健はこの映画を気に入ってるようで、当時のNHKのモリシゲとのトーク番組で「久々にあのシャシンはおもしろかったですねー」と感想を言っている。モリシゲ(千坂兵部役でちょっと出てる)のリアクションは薄かったが、それが不同意によるものか体調によるものかは不明。ことによると観てねえんじゃねえかとも思う。
95年の日本アカデミー賞の優秀作品賞と監督賞を受賞。