「垣見五郎兵衛」の版間の差分
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本物の輸送ルートを中山道だろうと予測して、自分たちは東海道を下ったが神奈川宿で運悪く本物の垣見の道中とでっくわす。 | 本物の輸送ルートを中山道だろうと予測して、自分たちは東海道を下ったが神奈川宿で運悪く本物の垣見の道中とでっくわす。 | ||
− | 宿のエントランスに「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見しておどろいた本物の五郎兵衛は最初、自分の名を語る不届きなやつと中に踏み込んで抗議しようとするが、内蔵助たちを主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と'''察して''' | + | 宿のエントランスに「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見しておどろいた本物の五郎兵衛は最初、自分の名を語る不届きなやつと中に踏み込んで抗議しようとするが、内蔵助たちを主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と'''察して'''、「それならそうと言ってくれれば便宜もはかったし、さぞ心を痛めたであろう。なんで通さでなるものか」という同情&応援の気持ちから、自分のほうが偽物だと詫び、その上「コレ、私の偽造品です。処分しちゃってください」と言って本物のIDを内蔵助にくれる。 |
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+ | まさかの厚意に、ふすまの向こうで控えてる浪士、主税たちも両手を合わせたり土下座して感泣する。 | ||
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察するプロセスはアレンジが様々で、大石が仕方なく白紙の道中手形やIDを見せるのをキッカケに、垣見がかたわらの荷物のカバーのマーク(定紋、丸に鷹の羽のぶっちがい)にハッと気がついたりするのが主流だが、内蔵助が「これがID」と言って殿の短刀(ちいさがたな/九寸五分)を見せたり、連判状または位牌を見せたり、といろいろ。とにかくフィクション。 | 察するプロセスはアレンジが様々で、大石が仕方なく白紙の道中手形やIDを見せるのをキッカケに、垣見がかたわらの荷物のカバーのマーク(定紋、丸に鷹の羽のぶっちがい)にハッと気がついたりするのが主流だが、内蔵助が「これがID」と言って殿の短刀(ちいさがたな/九寸五分)を見せたり、連判状または位牌を見せたり、といろいろ。とにかくフィクション。 | ||
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+ | 情けを受けた内蔵助は堂々とお礼も言えないので「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」(古田求脚本など)と言ってお礼とする。 | ||
二人は別れるが別れるまで本物とニセモノの振りをしとおす。 | 二人は別れるが別れるまで本物とニセモノの振りをしとおす。 | ||
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浪曲では垣見左内(かきみさない)。内蔵助、[[大石主税|主税]]親子が五郎兵衛、左内というふうに化けているという講談もある。 | 浪曲では垣見左内(かきみさない)。内蔵助、[[大石主税|主税]]親子が五郎兵衛、左内というふうに化けているという講談もある。 | ||
+ | まんが「忠臣蔵とその時代」(シナリオ小林隆)では「わたしは垣見左内の伯父、江州(ごうしゅう)郷士、垣見五郎兵衛でござる。左内の後見人として訴訟のためまいった」と江戸の公事宿「小山屋」に泊まる。 | ||
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+ | 史実でも実際に内蔵助はこの名を語っていたというから、誰かがそれをヒントにこしらえた講話なんだと思います。 | ||
− | [[立花左近]] | + | そっくりなシチュエーションで[[立花左近]](たちばなさこん)というキャラ名の時もある。 |
2009年9月22日 (火) 16:00時点における版
垣見五郎兵衛【かきみ ごろべえ】…日野大納言(お公家さん)用人。
天野屋が調達した武器輸送の大石内蔵助が江戸へ下向(大石の東下り)中、天下法度の道具なので関所でとがめられる恐れがあるので、「日野家の名代で垣見五郎兵衛という人物が禁裏御用のために京都から江戸へ下る」という情報を元に、悪いこととは知りながらこの輸送係の垣見の名を語っていた。
本物の輸送ルートを中山道だろうと予測して、自分たちは東海道を下ったが神奈川宿で運悪く本物の垣見の道中とでっくわす。
宿のエントランスに「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見しておどろいた本物の五郎兵衛は最初、自分の名を語る不届きなやつと中に踏み込んで抗議しようとするが、内蔵助たちを主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察して、「それならそうと言ってくれれば便宜もはかったし、さぞ心を痛めたであろう。なんで通さでなるものか」という同情&応援の気持ちから、自分のほうが偽物だと詫び、その上「コレ、私の偽造品です。処分しちゃってください」と言って本物のIDを内蔵助にくれる。
まさかの厚意に、ふすまの向こうで控えてる浪士、主税たちも両手を合わせたり土下座して感泣する。
察するプロセスはアレンジが様々で、大石が仕方なく白紙の道中手形やIDを見せるのをキッカケに、垣見がかたわらの荷物のカバーのマーク(定紋、丸に鷹の羽のぶっちがい)にハッと気がついたりするのが主流だが、内蔵助が「これがID」と言って殿の短刀(ちいさがたな/九寸五分)を見せたり、連判状または位牌を見せたり、といろいろ。とにかくフィクション。
情けを受けた内蔵助は堂々とお礼も言えないので「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」(古田求脚本など)と言ってお礼とする。
二人は別れるが別れるまで本物とニセモノの振りをしとおす。
浪曲では垣見左内(かきみさない)。内蔵助、主税親子が五郎兵衛、左内というふうに化けているという講談もある。
まんが「忠臣蔵とその時代」(シナリオ小林隆)では「わたしは垣見左内の伯父、江州(ごうしゅう)郷士、垣見五郎兵衛でござる。左内の後見人として訴訟のためまいった」と江戸の公事宿「小山屋」に泊まる。
史実でも実際に内蔵助はこの名を語っていたというから、誰かがそれをヒントにこしらえた講話なんだと思います。
そっくりなシチュエーションで立花左近(たちばなさこん)というキャラ名の時もある。