「山鹿素行」の版間の差分
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− | [[大石内蔵助]] | + | [[大石内蔵助]]は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」「山鹿送り」実際配流されたとき内蔵助は8歳w。)。 |
2017年6月9日 (金) 03:54時点における版
山鹿素行【やまが そこう】…赤穂藩士の教育などを行った軍学の先生。儒学者。
三代将軍・家光の師範だったが、家光の死後、赤穂の浅野長直のオファーで一千石で藩に学問師範として迎えられ、8年間軍学や儒学を教えた。(もともと内匠頭のおじい様と師弟関係で、赤穂で仕えていた経験がある。)
その後退職し、江戸に出て民間の学者となる。
そこで反政府的なことを説いて、お上から目を付けられ、赤穂に流刑を言い渡される。
大石内蔵助は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」「山鹿送り」実際配流されたとき内蔵助は8歳w。)。
浅野内匠頭はこの山鹿先生の「教え」をイデオロギーとして、いちいち「山鹿先生の教えに反する!」とカタイことを言っては元禄流のビジネステクニックを教えようとする吉良上野介から反感を買ったふうな演出がしばしば見られる(「元禄繚乱」ほか)。
討ち入りの時に内蔵助が陣太鼓たたいて、眠ってた吉良邸の用人がガバッと起きて耳を澄まし「一打ち二打ち、三流れ…アレは山鹿流の陣太鼓!?」って言ってそばの刀もって飛び出して行くときの「山鹿流の陣太鼓」てのがこの先生流の、という意味。「山鹿流の」って知ってて当たり前みたいに言ってるわりには実在しないので、ドラマによってリズムとかまちまちです。
浅野内匠頭はこの人を尊敬しているが、入門して1年くらいで他界してる。
ドラマに本人が出てくることはまず無いが、とにかく劇中に名前はよく出てくる。