元禄水滸伝
| 作品概要 | |
| 制作会社 | 宝塚映画 |
|---|---|
| 公開年度 | 1952年 |
| 内蔵助役 | 三津田健 |
| 評価 | |
戦後初の忠臣蔵(たぶん)。
戦前は「女の子の物語」ばかり5本作っていた(要確認)宝塚映画が、戦後1951年に「日本のハリウッドとして関西の宝塚に名乗りを上げた新しいスタジオ宝塚映画製作所」(「元祿水滸伝」プレスより)を設立。第1回作品として本作を製作した。配給は東宝。
寺坂吉右衛門、毛利小平太、小山田庄左衛門という脱盟者ばかり3にんにスポットを当て、オリジナルの物語を彼らに与えている友情物語。
ただ、プレスには「そくそくたる美しくも哀れな悲恋絵巻」としており、映画ポスターも「風と共に去りぬ」ばりに男女の顔が近い。
GHQ検閲(CIE←台本。CCD←完成品の検閲)の花形?で東宝争議の原因?でもあるデビッド・コンデは「日本映画がラブシーンでキスしないのは不自然だ」とか余計なことを主張してたらしい(「日本映画史」(2)P178佐藤忠男 岩波書店)から、その影響なんじゃないかと思うが、あたしには恋愛映画という印象は薄い。(言うまでもないがキスシーンも無い)
作品では登場人物それぞれのイキザマが描かれているが、映画全体を通して訴えかけているのが「生きよう!」という、およそ忠臣蔵に似つかわしくないテーマ。
まず脱盟者を主役に立てた時点で、コレは「生き続けること」をテーマに掲げている事を意味する。ただ「最後の忠臣蔵」のような"赤穂浪士が生き残ることの皮肉"をおもしろがってるのではなく、あくまで「命を大切にすること」への賛美がくりかえしうたわれる。
内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。(“死ではなく生”を選ぶ者たちの反骨のかんじが『水滸伝』っぽい?)
主役の小山田はラストで「強く生きていきます!」とガールフレンドに言うし、寺坂吉右衛門が討ち入りのあとで南部坂に報告に行くと「ちっともかっこいいこっちゃないんだから、ほかで討ち入りを吹聴しなさんなよ。生きろ。」と瑤泉院から釘を刺される。
本来なら、わざわざ忠臣蔵という題材でこんなのって、ナンセンスである。
だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが、やはり、戦後だという時代背景=ややこしいバック・グラウンドでありまして、この映画がリリースされた1952年といえば、それまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年ではなかったか。
とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったようにも思う。(そう急展開で羽も広げられないんじゃないかと。討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無いし。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。
それとも単純に、少女歌劇的な映画ばかり作ってた会社だからあえて毛色の違う忠臣蔵をやろうとしたのか。
ともかく時代に振り回され、いろんな規制のある中で、それでも「忠臣蔵を撮りたい」と思う情熱には、目が潤む。(先年に「羅生門」や「地獄門」などが海外で高く評価されたことが、いままで睨まれていた時代劇を作りやすいバックグラウンドを作ってるようにも感じる。)
とにかく、本作は時代を反映した、プロテストソングっぽい物腰でありました。(加筆:「この作品は"元禄"という世代への批判」であると堂々と「元祿水滸伝」プレスでうたっている。)
撮り方もていねいで好感が持て、屋外ロケ現場がいろいろ広い。
大石主税と矢頭右衛門七という美少年二人をそれぞれ寿美花代、南風洋子という宝塚スターが演じている。ヤラレタ。
<附言>
当時のGHQの検閲はきびしく、おそれられていた。
この映画公開の数カ月後に占領軍は日本を去るが、本作は会社立ち上げて一作目だし、制作発表の段階ではまだGHQの影響下にある時期。さぞかし、ことを慎重に構えて進めていただろうと想像できる。
なにせ、検閲に引っかかれば最悪、ネガやプリントが没収されたり焼却されたりするので、映画人の中にはフィルムをこっそり隠したりしたヒトもいたという。
また、バレれば死刑。軽くて沖縄で強制労働…というウワサさえあったとか。(実はCIE自体には権限はなかったが、指導された日本政府が過剰な面もあったようだ。)
先述のデビッド・コンデは、接待でおべっかをつかわないと吉良上野介ばりの意地悪をしたとか。(彼は1947年に任を解かれて日本を去っている)(「偽りの民主主義〜GHQ・映画・歌舞伎の戦後秘史〜」浜野保樹 角川書店)