修羅

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作品概要
制作会社 日本ATG
公開年度 1971年
内蔵助役 −−−
評価 3ツ星
公開当時のチラシ


歌舞伎の「盟三五大切」と、新劇の石沢秀二という先生のアレンジが原作のATG映画(←と、なにかで読んでそう書いたが、チラシには一言もそれを触れてないが…。あくまで南北の原作を松本監督が脚色したとしてある。)。力作。

新劇のほうを知らないので、歌舞伎としか比較できないんですが、全体的にかなり忠実。歌舞伎のほうは、意外と笑えるところがいっぱいあって能天気なのだが、あの様式美を取り払うと「コレってそうとうすさまじい猟奇だよなあ」っていうストーリーでありまして、まさにこのATG映画はそこんところをやっております。


「登場人物12人のうち9人が目を覆うような殺され方をします。(略)この世は救いがないと言うためにこれを作ったのではなく、そうならない人間のあり方を、逆説的に強く求める気持ちを込めて作ったのです。」(松本監督談:プレスシート)


「正体を隠して塩谷浪士(赤穂浪士)が作戦を続行する」ことによる不幸はいろんな外伝に反映されておりますが、そのもっとも不幸なパターンであります。原作の鶴屋南北だから書けた系の、救いようの無い非道い作品(もちろんイイ意味で)。歌舞伎版を見てたときはあんまり思わなかったが、この作家はなかなかのキ●ガイですな(イイ意味で)。

映画は出だしがじゃっかん退屈。助演の若き唐十郎が魅力的で、彼がちょっと経ってから出てくるのだが、それから以降はいいかんじ。主人公に彼のような「見ているだけで退屈しない」魅力があったらもうちょっと印象が変わってたろうな。

主人公を演じる中村嘉葎雄は悪くないのだが、ただ見ているだけでは「持つ」ってかんじの人じゃないんですね。この役はむしろ、コメディアンとかにやらせたらどうだったろうと見ながら思ったりもした。イイ人だった主人公が狂気に転じる凄まじさはむしろ一見狂気から遠い人にやってもらったらいいかもなので。同じ年頃なら財津一郎とか、よくない?あ、藤田まことだったら傑作だったかも!(...なぜか「てなもんや」チョイス)

やーしかし、あらためて、この話、メッチャクチャですな。でもホントおもしろい筋書きであります。


歌舞伎ではご都合主義的なラストだが、映画じゃどうなるんだろうと見ていたら、独自のラストになっておりました。これも悪くなかった。


製作補佐:宮川孝至/脚本:松本俊夫/美術:朝倉摂/監督:松本俊夫

修羅

中村賀津雄 出演, 唐十郎 出演