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あゝ忠臣蔵

81 バイト追加, 2010年2月10日 (水) 11:53
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以上のように途中がグダグダきわまりないが討ち入りの際の[[俵星玄蕃]](長門勇)にはたいへんイイ見せ場がある。そもそも起伏のない本作品でははじめから長門勇の俵星玄蕃の存在感が唯一の「救い」であった。(長門勇)にはたいへんイイ見せ場がある。そもそも起伏のない本作品にははじめから長門勇の俵星玄蕃の存在感が唯一の「救い」であった。(あとバンジュンの[[堀部弥兵衛|弥兵衛]]も良い)
さて、当時のフジテレビは本作品を「大奥」の後番組としてオンエアしたそうで、これは憶測なのだがもしかしたら最初はちゃんと硬派に作ろうとしてたのに思ったほど視聴率が伸びないので、途中から「大奥」を見ていた奥様方を視聴者に当て込んでヨロメキに路線変更を試行錯誤したのではないだろうか。お軽勘平のときから急に予告編で「美空ひばりと里見浩太朗によるお軽勘平…」とわざわざ次回に登場する役者の名前を発表する習慣が始まったり、どことなく不自然なのだ。さて、当時のフジテレビは本作品を「大奥」の後番組としてオンエアしたそうで、それを聞いて憶測したのだが、もしかしたら最初はちゃんと硬派に作ろうとしてたのに思ったほど視聴率が伸びないので、途中から「大奥」を見ていた奥様方を視聴者に当て込んでヨロメキに路線変更を試行錯誤したのではないだろうか。お軽勘平のときから急に予告編で「美空ひばりと里見浩太朗によるお軽勘平…」とわざわざ次回に登場する役者の名前を発表する習慣が始まったり、どことなく不自然なのだ。
ともあれ、放送当時はたいへん評判は良かったそうで放送終了後の泉岳寺の墓参も増えたと回顧しているサイトもある。当時はビデオやDVDが無い時代であり、まとめて全話を見て総合点を出すという習慣もなかったわけだから、ほとんどのドラマは「その場しのぎ」のエピソードで構成してなんのためらいもなかったろうことは論を俟たない。やはり人気の、後年の[[年末時代劇スペシャル 忠臣蔵|里見版]]もそうなのだが、重厚なドラマ作りよりもホームドラマに近いノリでふんわり作る忠臣蔵のほうが意外に評価が高いのかも。

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