差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

つか版・忠臣蔵

34 バイト追加, 2020年1月27日 (月) 10:23
編集の要約なし
== 総括「つか版」について ==
「つか版忠臣蔵」は、演出面や演技面で相当なパワーを持って、有無を言わせず観客をグイグイ引っ張っていかないと、ものすごくほころびが目立つ特徴があるのではないかという印象を、2020年版の若い衆の芝居のおかげで、あらすじが浮き彫りになってそう持った。「つか版忠臣蔵」は、演出面や演技面で相当なパワーを持って、理屈抜きで有無を言わせず観客をグイグイ引っ張っていかないと、スクリプトのほころびが目立つ…という特徴があるのではないかと、2020年版の若い衆の芝居のおかげで、そう持った。
いや、若い衆の芝居(↑上述の木馬亭版)自体は瑞々しくて悪くなかったです。これはマジで。
某大学助教授が、テレビ初公開時の「國文學」(s61)に載ってる本作の原作のレビューで「つかこうへいは、井上ひさしのように"調べ尽くすことが作品の成り立ちに不可欠"とは、思っていない」<small>註01(註01)</small>「いちいち調べて書いてるようでは、せっかくのナマ物にカビが生えてしまいまんがな…という台詞は作者自身の考え」と概略そのように指摘している。
まったくそのとおりだなと思った。
これをカバーするのが、おっぱい丸出しを含む(<誤解承知)、役者が元気にセリフを言って跳ねまわる(<誤解承知)「いきおい」なんじゃないかと。それがつか作品の魅力というものなんじゃないのかなと。だって、台本は稽古のたびに変わるっていう(まさにナマ物)んだから、40年近く前に出来上がった台本を使った時点で「つか作品」とは言えないのかもしれない。
空間全部で「つか作品」なら、彼が演出しないと成り立たないんじゃないか。空間全部を以って「つか作品」というなら、彼が演出しないと「つか版」という看板は成り立たないんじゃないか。

案内メニュー