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もりいくすお

807 バイト追加, 2020年6月6日 (土) 15:53
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(慈恵看護専門学校の前身、看護婦教育所は鹿鳴館バザーの収益で建てられたが、開催は新発田藩・溝口家12代藩主の娘から有栖川家に嫁いだ栄姫(はるひめ。結婚して董子…ただこ)さんによるものである。'''[[堀部安兵衛]]'''は溝口家から姓を分けてもらってる一族。父・'''中山弥次右衛門'''は藩士。)
 その後品川('''勅使、院使を出迎えた地'''。そして「'''義士銘々伝'''」でブレイクした、現在の浪曲の形を作った桃中軒 雲右衛門の葬られてる地)で育つ。雲右衛門の葬られてる地。またそのご近所の南品川には、'''[[堀部弥兵衛]]'''役者で有名な薄田研二さんがおすまいだった)で育つ。
 品川と言うと聞こえが良いが、最寄りは'''[[片岡源五右衛門|片岡源五右衛門を演じた郷ひろみ]]'''や'''[[大石内蔵助|大石内蔵助を演じた真田広之]]'''の育った大井町である。
 先祖は'''[[大石内蔵助]]の閑居があった京都の山科'''の近所の出だと勘違いしていた時期があったが(高祖母が木村荘平の愛妾だったから)、実際は'''[[伊達左京亮|伊達家]]'''のお屋敷があった麻布は仙台坂のそばのおっさんの子孫だった。
 父親は、麻布高校の出身で、'''[[間十次郎]]一家'''の子孫であるメディア界の重鎮・羽佐間重彰さんの後輩。しかし'''[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]'''はフィクションだからいいが、いかにも史実であるかのように家柄の良い'''高家筆頭の[[吉良上野介]]'''を悪者に仕立て上げる映画の忠臣蔵は嫌いじゃ!」と、アンチ忠臣蔵の秋葉原のデザイン会社の取締役で、母親は泉岳寺そっくりの'''四十七義士の墓'''がある(興宗寺〜こうしゅうじ〜)福岡県(とはいえ、お寺さんは福岡市で彼女のほうは、があり(興宗寺〜こうしゅうじ〜)、ベストセラー'''「元禄快挙録」'''の著者・福本日南の出身地、福岡県(母は、'''寺坂吉右衛門'''の墓のある八女の近所の久留米)出身で、「忠臣蔵」と聞いても「はぁ、時代劇ね」というくらいのフリーの経理事務の人。くすおはそういう家柄のもとに生まれた。の墓のある八女の近所の、久留米出身)出身で、「忠臣蔵」と聞いても「はぁ、時代劇ね」というくらいのフリーの経理事務の人。くすおはそういう家柄のもとに生まれた。
 人並みに式と披露宴をしたが、場所は吉良邸の茶会の日をリークした'''[[羽倉斎]]ゆかりの地、神田明神'''であった。
 浅草は'''[[前原伊助]]、[[倉橋伝助]]、[[勝田新左衛門]]、[[不破数右衛門]]、[[武林唯七]]、[[杉野十平次]]らが同盟の誓約を交わした'''場所で、'''義臣伝読切講釈「忠臣連理の鉢植~植木屋」'''の舞台で、忠臣蔵がお家芸のの舞台で、仮名手本忠臣蔵などが公演される'''[[国本武春中村勘三郎|中村座]]先生が'''浪曲がやってくる有名な東京の下町である。  このころ(1980年代なかば)、ユカさんのバイト先の友人の彼氏の高校の同級生(ブルーグラスのバンド仲間)に、'''をされる木馬亭のある、仮名手本忠臣蔵などが公演される忠臣蔵'''がお家芸の[[中村勘三郎|中村座国本武春]]師匠がおり、もりいは'''がやってくる有名な東京の下町である。浪曲'''を知ることになる。
 雑誌やテレビの似顔絵の仕事が多かったので、練習もかねて登場人物の役者絵を仕事の合間に描いていたら仕事中もオフも絵と向き合うこととなり、それが楽しいウォーミングアップになった。おかげでいつ仕事へのシフトしても筆が軽やかになり、気が進まない仕事が激減した。
 映画やドラマの登場人物の元ネタがどうやら古典にあると察し、[http://blog.kusuya.net/?eid=964 20代から親交のあった国本武春氏20代から親交のあった'''国本武春'''氏]に相談。自宅に押しかけ講談本やカセットテープを大量に借り、お勉強に興じる。
 2013年。忠臣蔵物語を布教するために'''「[http://blog.kusuya.net/?day=20131201 早わかり忠臣蔵絵本]」'''をリトルプレスでリリース。ゆかりの地で売っていただく。
 2014年。イタリア大使館( 2014年。・[http://blog.kusuya.net/?eid=901 イタリア大使館('''旧・松平家'''跡)訪問。]
     フランスでの義士絵の販売(以下に詳細)。     ・フランスでの義士絵の販売(以下に詳細)。
         ・[http://www.tbs.co.jp/radio/kume954/guest/20141213.html 久米宏さん]や春風亭一之輔師匠のラジオ出演。
     テレビ3番組ほどの義士絵の提供。     ・テレビ3番組ほどの義士絵の提供。
 2015年。1年の審査の末ラインのスタンプ'''「[http://line.me/S/sticker/1025020 忠臣蔵~47samurai~]」'''が発売。(当時は審査が厳しく、松の大廊下でケガしてる吉良は「暴力的」。田村邸の内匠頭は正座してるだけなのに「自殺を誘発する」とリジェクトされた)
 使い勝手の悪さに急遽スピンオフ'''「[http://line.me/S/sticker/1155319 忠犬ちんべえ]」'''を審査申請したら今度はたったの4日でリリースされた。
 前年、フランスのパリ西部に位置するナント市にある歴史博物館の要請で、新正堂さんに提供した     ・前年に、フランスのパリ西部に位置するナント市にある歴史博物館の要請で、新正堂さんに提供した'''義士ようかん'''の絵(47葉。歌川国芳のアレンジ)を提供。博物館はそれを大判のシルクスクリーンで刷り直し、2セット作ったものを、同博物館で開催された「サムライ展」のために制作されたブックセットに入れて販売したが、2015年春にそのブックセットがめでたくLa Nuit Livre 2015 アート書籍部門においてグランプリを受賞。
    夏 紀里谷和明監督の     ・夏 紀里谷和明監督の'''「[[ラスト・ナイツ]]」'''の広報活動に協力。
 12月 両国から泉岳寺までの道のりをテレビでご案内(テレビ東京「なないろ日和」)。     ・12月 両国から泉岳寺までの道のりをテレビでご案内(テレビ東京「なないろ日和」)。
         ・[http://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/movie/1602-rekishi02.html 港区さんの歴史フォーラムのために講演初登壇]。
 2016年。国立演芸場'''「忠臣蔵でござる 春宵特撰 ASANO meets HANGAN」'''にて春風亭一之輔師匠とトークライブ。
 10月 国立劇場開場50周年記念グッズ     ・10月 国立劇場開場50周年記念グッズ'''「[http://blog.kusuya.net/?day=20161003 芝居廻り絵巻『仮名手本忠臣蔵』]」'''を高田紙器さんと開発&リリース。
 11月 ヨミウリ・オンラインさんにて作文     ・11月 ヨミウリ・オンラインさんにて作文[http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20161122-OYT8T50010.html 「師走恒例「忠臣蔵」はオワコンにならない」]。
 12月 赤穂市立図書館にて個展     ・12月 赤穂市立図書館にて個展'''「忠臣蔵イラスト展〜もりいくすおのおしごと披露〜」'''開催
 … etc. …
== ハマッたキッカケ おもな講演 ==[[画像:Live.jpg|thumb|この格好で参じます。]]
 子供の頃からぞっこんだったわけではなく、40過ぎて急にハマッた「グラ落ち」(<そんな言い方は、無いがw)について。'''[http://blog.kusuya.net/?day=20151112 「忠臣蔵を知ろう~過去の映像作品からひも解く~」]'''2015
明治から平成という激動に、主だった映画界、演劇界は忠臣蔵ををどう表現してきたかを興行成績や内容の変遷とともに振り返る。
 2007年末、北大路欣也の「[[忠臣蔵]]」のCS放送を見ながら、これまで見る度に混乱していた「忠臣蔵」の大勢の登場人物をひとつ理解してやろうと思い立ち、相関図を書いた。&紀里谷和明監督とトークショー。 <small>(東京都港区 歴史フォーラム)</small>
 すると別作品で同じ登場人物の役割が違ったりするので、観る作品ごとに微妙にストーリーの違う忠臣蔵の一体どれがオリジナルなのだろうと、さらに確認のために他のいろんな忠臣蔵を見漁りました。
 探りはじめると、ソレが大変な芸能(=エンターテインメントの各分野に幅広く忠臣蔵が存ること、それが250年以上、鬼のようなリメイクの量になってることなど)であることに圧倒され、クリエーターの腕比べが面白くて、すっかり魅力にとりつかれました。'''「塩冶判官と浅野内匠頭に逢いたいでござる」'''2016
 これが忠臣蔵観賞が趣味になる経緯です。年末にやっていた忠臣蔵落語ライブの「春」版。
春風亭一之輔師匠のMCで、浅野内匠頭と塩冶判官の相違についてと、似顔絵でお送りする「こんな内匠頭はいやだ」ワースト3を、実際に演じた役者から選んで紹介するトークショー。
 とはいえ、最初に見た北大路欣也の「[[忠臣蔵]]」がとりたててずばぬけて傑作だったわけではありません。その前年に初めて[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]をDVDで見たのも衝撃だったし、それより昔の「[[元禄繚乱]]」でそこそこハートを捕まれていましたし、さらに昔にも無意識に「[[忠臣蔵 花の巻雪の巻]]」の放送を録画していたりもしていました。完全にハマるまでの助走はありました。共演:春風亭一朝師匠、桂吉坊師匠らのライブ、故・国本武春師匠(映像)。
 正直申し上げますと、「この作品で感動したから」とかいう'''大きなキッカケは無い'''んです。<small>(国立演芸場 忠臣蔵でござる 春宵特撰 ASANO meets HANGAN)</small>
 こうした「きっかけバナシ」には往々にして「あとづけ」でエピソードを盛るものですが、TPOに合わせて'''以下をテキトーに答える'''ようにしております。
'''[http://blog.kusuya.net/?day=20161208 「わたしが描いた忠臣蔵」]'''2016
'''<好きになるキッカケエピソード1>'''個展のスピンオフ。もりいの絵本や、新発田の記念館に奉納した堀部安兵衛の一生、アニメなどの忠臣蔵の「絵仕事」の紹介と、忠臣蔵が時代とともにどう変化し、表現してきたかを振り返る。
 そもそも群像劇大好き説。<small>(赤穂図書館 忠臣蔵イラスト展イベント)</small>
 子供の頃から「がんばれ!ロボコン」「スタートレックシリーズ」「太陽にほえろ!」「吉本新喜劇」「モーニング娘。」「AKB48」など、群像劇(大勢のキャラクターとその相関関係)にしびれる素養があったようです。
 そこへいくと、300年以上の間、多くの人に愛され続けた忠臣蔵は、キャリアは申し分ありません。'''[http://blog.kusuya.net/?day=20171212 「忠臣蔵談義 忠臣蔵ってどんなお話?」]'''2017
お子さんたちに向けた、トークショー。お相手は忠臣蔵問屋「わたや」の矢野社長。
 赤穂義士伝や忠臣蔵は、史実上の登場人物のほかに、フィクション部分でも歌舞伎は歌舞伎、講談は講談と、それぞれの世界の中で新しい魅力的なキャラクターがどんどん生まれては育まれ、四十七士にからんできて、新しいエピソードを生んでいます。もりいの絵本の絵をもとに、名場面を紹介。
なにが魅力なのか、どのように日本人の美しさとして光っているのかをやさしく語る。
 夢中になってキャラクターを追いかけていると、あっちにも開けてないフタが見つかる。あ、こっちにも、という具合で、気づいたらすっかりハマッていたというわけです。<small>(赤穂 忠臣蔵ウイーク)</small>
'''[http://blog.kusuya.net/?day=20180725 「忠臣蔵ゆかりの地あれこれ」]'''2018
'''<好きになるキッカケエピソード2>'''日本全国の忠臣蔵ゆかりの地の自治体のみなさんが集まる「忠臣蔵サミット」にて、もりいが出かけた際の各地の画像とともに、ほめそやしたり、そうでなかったりを観光客の目線から語る。
 因果因縁説。<small>(広島県三次 第30回忠臣蔵サミット)</small>
 生まれたのが[[堀部弥兵衛|堀部家]]の菩提寺の真ん前で、通ってた学校は[[堀部安兵衛|安兵衛]]がおじさんの助太刀をした早稲田にあり、そこへは中山姓時代の'''安兵衛'''の自宅のあった牛込を6年間バスで通り抜け続け、いま住んでいるのが[[堀部安兵衛]]終焉の地の近所です。仕事場は安兵衛が19歳で江戸に来て最初に住んだ麻布切通そば。サイト開設の年にエキジビジョンを持ちかけられた展示会場は[[堀内源左衛門|堀内道場のあった小石川]]。
・・本籍は新発田城主・'''溝口信濃守[http://blog.kusuya.net/?day=20181218 「ステキなワル役~吉良上野介~」]'''(安兵衛のお父さん'''中山弥次右衛門'''が仕えた殿様)のお屋敷のあった南麻布。2018
風評被害、炎上の元祖(?)、描きおろしイラストと共に吉良上野介の実像と虚像にせまり、近年のコンプライアンス上等の時代における、吉良上野介の「扱い方」に疑問を投げかけ、彼に悪役として徹底してもらうためのアイデアを語る。
 いずれも「たまたま」な巡り合わせです。たまたまにしては出来すぎているので、これはもうなにか運命、宿命的なものを感じております。<small>(東京都港区 歴史フォーラム)</small>
'''[http://blog.kusuya.net/?day=20191110 「身勝手な夫とシングルマザー〜大石りくという生き方〜」]'''2019
'''<好きになるキッカケエピソード3>'''赤穂事件によって平穏な生活をとつじょ壊された「ふつう」の女性・大石りく。りくを演じた女優の描きおろし似顔絵とともに、りくさんのイメージを振り返り、元禄&令和のシングルマザー事情にせまる。
 陰陽五行説(か?)。<small>(兵庫県豊岡 大石りく生誕350年講演会)</small>
 もりいがハマった2007年に不思議がある。
 その後2度と放送が無い(もしくはしばらく放送が無い)ような貴重な忠臣蔵映画が軒並みBSやCSで放送があったのがこの年(&2008年)なのである。
 作品はたとえば「[[四十八人目の男]]」「[[韋駄天数右衛門]]」「[[サラリーマン忠臣蔵(テレ朝版)]]」などがそうであるが、なにかのバイオリズムがクロスオーバーしたのか、各局が申し合わせたのか、不思議。※その他、お寺さんでの講話や、NPO法人さんのイベント等、かけつけております。
 もりいもその波動に巻き込まれたと思うと面白いです。
== ハマッたキッカケ ==
== おもな講演 ==[[画像:Live.jpg|thumb|この格好で参じます。]] 子供の頃からぞっこんだったわけではなく、40過ぎて急にハマッた「グラ落ち」(<そんな言い方は、無いがw)について。
''' 2007年末、北大路欣也の「[http://blog.kusuya.net/?day=20151112 「忠臣蔵を知ろう~過去の映像作品からひも解く~」[忠臣蔵]]'''2015」のCS放送を見ながら、これまで見る度に混乱していた「忠臣蔵」の大勢の登場人物をひとつ理解してやろうと思い立ち、相関図を書いた。
明治から平成にかけて、松之大廊下から討ち入りまでの各エピソードを、主だった映画界、演劇界は時代とともにどう変化し、表現してきたかを振り返る。 すると別作品で同じ登場人物の役割が違ったりするので、観る作品ごとに微妙にストーリーの違う忠臣蔵の一体どれがオリジナルなのだろうと、さらに確認のために他のいろんな忠臣蔵を見漁りました。
各名場面のなにが、どこが日本人に刺さったかを解説。 探りはじめると、ソレが大変な芸能(=エンターテインメントの各分野に幅広く忠臣蔵が存ること、それが250年以上、鬼のようなリメイクの量になってることなど)であることに圧倒され、クリエーターの腕比べが面白くて、すっかり魅力にとりつかれました。
&紀里谷和明監督とトークショー。 これが忠臣蔵観賞が趣味になる経緯です。
<small>(東京都港区 歴史フォーラム)</small>
 とはいえ、最初に見た北大路欣也の「[[忠臣蔵]]」がとりたててずばぬけて傑作だったわけではありません。その前年に初めて[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]をDVDで見たのも衝撃だったし、それより昔の「[[元禄繚乱]]」でそこそこハートを捕まれていましたし、さらに昔にも無意識に「[[忠臣蔵 花の巻雪の巻]]」の放送を録画していたりもしていました。完全にハマるまでの助走はありました。
 正直申し上げますと、「この作品で感動したから」とかいう'''「塩冶判官と浅野内匠頭に逢いたいでござる」大きなキッカケは無い'''2016んです。
年末にやっていた忠臣蔵落語ライブの「春」版。 こうした「きっかけバナシ」には往々にして「あとづけ」でエピソードを盛るものですが、TPOに合わせて'''以下をテキトーに答える'''ようにしております。
春風亭一之輔師匠のMCで、浅野内匠頭と塩冶判官の相違についてと、似顔絵でお送りする「こんな内匠頭はいやだ」ワースト3を、実際に演じた役者から選んで紹介。
共演:春風亭一朝師匠、桂吉坊師匠らのライブ、故・国本武春師匠(映像)。'''<好きになるキッカケエピソード1>'''
<small>(国立演芸場 忠臣蔵でござる 春宵特撰 ASANO meets HANGAN)</small> そもそも群像劇大好き説。
 子供の頃から「がんばれ!ロボコン」「スタートレックシリーズ」「太陽にほえろ!」「吉本新喜劇」「モーニング娘。」「AKB48」など、群像劇(大勢のキャラクターとその相関関係)にしびれる素養があったようです。
'''[http://blog.kusuya.net/?day=20161208 「わたしが描いた忠臣蔵」]'''2016 そこへいくと、300年以上の間、多くの人に愛され続けた忠臣蔵は、キャリアは申し分ありません。
絵本や、新発田の記念館に奉納した堀部安兵衛の一生、アニメなどの忠臣蔵の「絵仕事」の紹介と、忠臣蔵が時代とともにどう変化し、表現してきたかを振り返る。
<small>(赤穂図書館 忠臣蔵イラスト展イベント)</small> 赤穂義士伝や忠臣蔵は、史実上の登場人物のほかに、フィクション部分でも歌舞伎は歌舞伎、講談は講談と、それぞれの世界の中で新しい魅力的なキャラクターがどんどん生まれては育まれ、四十七士にからんできて、新しいエピソードを生んでいます。
'''[http://blog.kusuya.net/?day=20171212 「忠臣蔵談義 忠臣蔵ってどんなお話?」]'''2017 夢中になってキャラクターを追いかけていると、あっちにも開けてないフタが見つかる。あ、こっちにも、という具合で、気づいたらすっかりハマッていたというわけです。
お子さんたちに向けた、トークショー。お相手は忠臣蔵問屋「わたや」の矢野社長。
もりいの絵本の絵をもとに、名場面を紹介。
なにが魅力なのか、どのように日本人の美しさとして光っているのかをやさしく語る。'''<好きになるキッカケエピソード2>'''
<small>(赤穂 忠臣蔵ウイーク)</small> 因果因縁説。
 生まれたのが[[堀部弥兵衛|堀部家]]の菩提寺の真ん前で、通ってた学校は[[堀部安兵衛|安兵衛]]がおじさんの助太刀をした早稲田にあり、そこへは中山姓時代の'''安兵衛'''の自宅のあった牛込を6年間バスで通り抜け続け、いま住んでいるのが[[堀部安兵衛]]終焉の地の近所です。仕事場は安兵衛が19歳で江戸に来て最初に住んだ麻布切通そば。サイト開設の年にエキジビジョンを持ちかけられた展示会場は[[堀内源左衛門|堀内道場のあった小石川]]。
・・本籍は新発田城主・'''[http://blog.kusuya.net/?day=20180725 「忠臣蔵ゆかりの地あれこれ」]溝口信濃守'''2018(安兵衛のお父さん'''中山弥次右衛門'''が仕えた殿様)のお屋敷のあった南麻布。
日本全国の忠臣蔵ゆかりの地の自治体のみなさんが集まる「忠臣蔵サミット」にて、もりいが出かけた際の各地の画像とともに、ほめそやしたり、そうでなかったりを観光客の目線から語る。
<small>(広島県三次 第30回忠臣蔵サミット)</small> いずれも「たまたま」な巡り合わせです。たまたまにしては出来すぎているので、これはもうなにか運命、宿命的なものを感じております。
'''[http://blog.kusuya.net/?day=20181218 「ステキなワル役~吉良上野介~」]'''2018
風評被害、炎上の元祖(?)、描きおろしイラストと共に吉良上野介の実像と虚像にせまり、近年のコンプライアンス上等の時代における、吉良上野介の「扱い方」に疑問を投げかけ、彼に悪役として徹底してもらうためのアイデアを語る。'''<好きになるキッカケエピソード3>'''
<small>(東京都港区 歴史フォーラム)</small> 陰陽五行説(か?)。
 もりいがハマった2007年に不思議がある。
'''「身勝手な夫とシングルマザー〜大石りくという生き方〜」'''2019 その後2度と放送が無い(もしくはしばらく放送が無い)ような貴重な忠臣蔵映画が軒並みBSやCSで放送があったのがこの年(&2008年)なのである。
赤穂事件によって平穏な生活をとつじょ壊された「ふつう」の女性・大石りく。りくを演じた女優の描きおろし似顔絵とともに、りくさんのイメージを振り返り、元禄&令和のシングルマザー事情にせまる。 作品はたとえば「[[四十八人目の男]]」「[[韋駄天数右衛門]]」「[[サラリーマン忠臣蔵(テレ朝版)]]」などがそうであるが、なにかのバイオリズムがクロスオーバーしたのか、各局が申し合わせたのか、不思議。
<small>(兵庫県豊岡 大石りく生誕350年講演会)</small> もりいもその波動に巻き込まれたと思うと面白いです。
画像:32.jpg|2014.フランス、ブルターニュ大公城「サムライ展」で義士絵と絵本発売。
画像:IMG_7903.JPG|2015.講演初登壇。&テレビ初登場。
画像:engeijyo.jpg|2016高2の時に石ノ森章太郎先生と出会ったあの劇場に登壇!
画像:densyo_kan.jpg|2016新潟県新発田、清水園内の安兵衛伝承館で「安兵衛真観」発表。
画像:Gallery.jpg|2016聖地・播州赤穂にて個展開催。
画像:2018poster.jpg|2018年赤穂義士祭ポスターイラスト。
画像:20181202M.jpg|2018年港区歴史フォーラムトークショー。(東京新聞より)
画像:gisisai115.jpg|2018年赤穂義士祭パレード実況。2018年〜 赤穂義士祭パレード実況。
画像:taisi2019.jpg|2019年港区より観光大使を委嘱。
画像:Mokubatei.jpg|2019年浅草木馬亭トークショーin東家一太郎師匠ライブ。
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