差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

もりいくすお

1,021 バイト追加, 2021年4月19日 (月) 13:12
編集の要約なし
 物心ついた時からすでに絵を描くのが好きだったくすおは、幼稚園(「夕ニャン」で 物心ついた時からすでに絵を描くのが好きだったくすおは、幼稚園([[おニャン子版忠臣蔵|「夕ニャン」]]で'''[[浮橋太夫]]'''をやった工藤静香が編入&中退した日本音楽高等学校 付属幼稚園)の頃から「モーレツア太郎」や「帰ってきたウルトラマン」を描いておともだちに喜ばれてはは得意になっていた。をやった工藤静香が編入&中退した日本音楽高等学校の付属幼稚園)の頃から「モーレツア太郎」や「帰ってきたウルトラマン」を描いておともだちに喜ばれては、得意になっていた。
 小学生の時、雑誌の「テレビランド」や「小学四年生」「小学五年生」に投稿して絵を掲載してもらう印刷初体験をする。同時に「おはようこどもショー」のコーナーでつボイノリオの背景に絵を採用された放送電波初体験もした。(放送をした日本テレビは当時 小学校に上がるや、「給食を全部食べなければ帰宅を許さない」という担任の体罰が効いて、会食恐怖症となり、元来食い意地が張ってるはずのもりいには、卒業するまで給食が苦痛でしかなかった。いつスイッチが入るかわからない、このコンプレックス(「平らげなければいけない!」という強いプレッシャーで食べ物を飲み込めなくなる)には40歳を過ぎても苦しめられたが、忠臣蔵に目覚めた2008年、故・国本武春師匠におごってもらった成田の川豊本店のうな重を食べ残したのを最後に、なぜか(ようやく)克服できた。  雑誌の「テレビランド」や「小学四年生」「小学五年生」に投稿して絵を掲載してもらう印刷初体験をする。同時に「おはようこどもショー」のコーナーでつボイノリオの背景に絵を採用された放送電波初体験もした。(放送をした日本テレビは当時'''赤穂浪士が潜伏した麹町'''にあったが、現在、汐留の'''仙台藩芝口上屋敷跡'''にある。討ち入り後に赤穂浪士に粥を振る舞ったお屋敷である)
 テレビや漫画ばかり見ていてあまりに勉強しないので、罰として親に漫画本のすべてを破棄されるが、クオリティの高い手塚治虫(<ちなみに先生は「'''[[わんわん忠臣蔵]]'''」原案を担当している。手塚プロのある高田馬場は'''[[堀部安兵衛|中山安兵衛]]の決闘'''で有名。晩年に「七色いんこ」という作品で'''忠臣蔵'''のパロディを扱ってらっしゃいました。)作品だけは、父の情けで読んでいいというお赦しが出る。(当時俗悪とされたテレビ番組「8時だヨ!全員集合」「うわさのチャンネル」についても視聴禁令が敷かれた)
 勉強のじゃまになったり、他人の机を落書きで汚したり、いかがわしい絵を描いたりという悪行に対してしばしばマンガ全般禁止令が出るが、今にして思えば抑圧はますます描きたい情熱をかきたてた。 勉強のじゃまになったり、他人の机を落書きで汚したり、いかがわしい絵を描いたりという悪行に対してしばしばマンガ全般禁止令が出るが、今にして思えば抑圧はますます「描きたい」という情熱を奮い立たせた。
 小学生時代に、ジョーズやタワーリングインフェルノや犬神家の一族をきっかけとしてハマった映画鑑賞だったが、中学生になってから、深作欣二の「'''[[赤穂城断絶]]'''」に出会う。いわばもりいくすおが真っ正面から接した忠臣蔵ファーストコンタクトである。(でも、この時点ではまだ忠臣蔵にハマっていない)
 そのパンフレットには、それまで公開された過去の忠臣蔵映画のスチルがたくさん載っており、釘付け。同じテーマでいろんな作品がめんめんと作り続けられてるという映画史に興奮した。間違いなくここで植え付けられたなにかが触媒され本サイトを作る根源になっている。 映画そのものに、特にハマりはしなかったが(面白いとは思った)それよりも、この映画のパンフレットに、それまで公開された過去の忠臣蔵映画のスチルがたくさん載っており、これに釘付け。同じ題材でいにしえより、こんなにもいろんな作品がめんめんと作り続けられてるという、映画史に興奮した。間違いなくここで植え付けられたなにかが触媒され、本サイトを作る根源になっている。
 また落語にハマったのも中学時代で、たとえば「'''[[中村仲蔵]]'''」を聴きながら、創作の魅力をあれこれ想像し、おはなしに出てくる'''[[斧定九郎|定九郎]]'''ってどんなんだろうと思いをはせた。この頃を境に両親を「おとっつぁん」「おっかさん」と呼ぶようになる。
 アメリカの風刺雑誌MADと巡り会い、モート・ドラッカーの作風に憧れる。
 テレ東版の珍訳「ゾンビ」(いあわゆるサスペリア版)に腹を立てて友人とアフレコしなおしたり、学園祭では16ミリフィルムでアニメ撮影&上映などして遊び、有楽町の日劇に日替わりの特撮映画を見に定期券を買って「ゴジラ映画大全集」に出かけた。 テレ東版の珍訳「ゾンビ」(いわゆるサスペリア版)に腹を立てて友人とアフレコしなおしたり、学園祭では16ミリフィルムでアニメ撮影&上映などして遊び、有楽町の日劇に日替わりの特撮映画を見に定期券を買って「ゴジラ映画大全集」に出かけた。
 友人に助けられながら、クライアントに謝りながら、それなりにイラストレーター生活を続け、たまに広川太一郎さんのモノマネ( 友人に助けられながら、クライアントに謝りながら、それなりにイラストレーター生活を続け、たまにTBSラジオ「コサキンDEワァオ!」で広川太一郎さんのモノマネ('''[[間十次郎]]'''の子孫の声優・羽佐間道夫さんおすみつき。とはいえ20年以上経って、お会いした時はコサキンにおいでになったことをお忘れでした。「小堺くんが"俺がハマーだ!"のファンなんだよね。」)で、関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションもお手伝いしつつ、台東区では10年以上営業を続けた。のファンなんだよね。」)を披露し、この出演をきっかけにその後も関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションが続いている。(台東区での営業は10年以上になった。)
 ちなみに関根氏は高輪の育ちであり、小学生時代は'''義士祭'''になると煙まみれの'''泉岳寺'''に、お友達と「探検だ!」と言って出かけたという(ご本人談。お寺はご実家から徒歩7分)。

案内メニュー