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イヌの仇討
,編集の要約なし
{{Cinema|制作=こまつ座|公開=1988|内蔵助=---|星=3|頃=}}
[[画像:Inunoadauchi.jpg|thumb|公開当時のチラシ2017版のチラシ]][[画像:Inunoadauchi2.jpg|thumb|2020年版。泥棒が鋭い木村靖司から丸い原口健太郎になって様変わり。]]
このオハナシは、観客にとって(あるいは世間の風潮が)四十七士の討ち入りが「義士の義挙」であると当たり前に思ってる前提があるからこそなりたつのだが、こんにちにあっては忠臣蔵離れがヒドいのと、知ってる人は知ってる人で吉良に対して同情的になってきていることから2017年は向いてなかったのかもなどと思った。
かと言って現代風にアレンジしたりせず初演当時と同じ内容(<要確認。ちなみに'88年版の[[狆]]はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものをみられたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものを観られたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。
で、「赤穂義士のおこないは正義なのか?」という疑問を投げかけるために吉良視点で松の大廊下からXデーにいたるまでを台詞でおさらいして赤穂藩の有り様や幕府、町民などの矛盾点などを突いていって痛快なはずなのだが、そこに説得力を持たせるために吉良上野介を完全に「善人」に仕立て上げてしまったことがいささか鼻についた。(同時に四十七士を少し落としている。)
やがて吉良は、あれだけ尽くした将軍が自身の片落ちの裁定を棚に上げて世情(浅野びいき)の人気を優先して自分を本所深川なんぞに厄介払いしたと解釈しはじめるのと、大石がやろうとしていることが仇討ちではなく幕府への反逆と理解し始めることとうまくリンクしてきて、こうなったら討ち入りをとことん美談にするために喜んで死んでやるとばかりに炭小屋を飛び出す。幕府のイヌとして働いてきた吉良への仇討である。
なんというか、ととのいすぎ。<small>(註01)</small>
さりとてコンパクトな構成でこの重厚なテーマをコミカルにパッケージしたのは見事としか言いようがなく、お芝居としては満点。