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修羅

サイズ変更なし, 2008年12月5日 (金) 00:41
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「正体を隠して塩谷藩士(赤穂藩士)が作戦を続行する」ことによる不幸はいろんな外伝に反映されておりますが、その'''もっとも不幸なパターン'''であります。原作の鶴屋南北だから書けた系の、救いようの無い非道い作品。歌舞伎を見てたときはあんまり思わなかったが、この人なかなかのキ●ガイですな(いい意味で)。
映画は出だしがじゃっかん退屈。助演の若き唐十郎が魅力的なので、彼がちょっと経ってから出てくるが、それから以降はいいかんじなのだが、主人公に彼のような「見ているだけで退屈しない」魅力があったらもうちょっと印象が変わってたろうな。映画は出だしがじゃっかん退屈。助演の若き唐十郎が魅力的で、彼がちょっと経ってから出てくるのだが、それから以降はいいかんじ。主人公に彼のような「見ているだけで退屈しない」魅力があったらもうちょっと印象が変わってたろうな。
主人公の中村嘉葎雄は悪くないのだが、ただ見ていて「持つ」ってかんじの人じゃないんですね。これはむしろ、コメディアンとかにやらせたらどうだったろうと見ながら思ったりもした。イイ人だった主人公が狂気に転じる凄まじさはむしろ一件狂気から遠い人にやってもらったらいいかもなので。同じ年頃だと小松政夫?伊東四朗?財津一郎?ン〜違うか。主人公の中村嘉葎雄は悪くないのだが、ただ見ていて「持つ」ってかんじの人じゃないんですね。これはむしろ、コメディアンとかにやらせたらどうだったろうと見ながら思ったりもした。イイ人だった主人公が狂気に転じる凄まじさはむしろ一件狂気から遠い人にやってもらったらいいかもなので。財津一郎とか、よくない?
やーしかし、あらためて、この話、メッチャクチャですな。でもホントおもしろい筋書きであります。

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