「勢ぞろい!!おかま忠臣蔵」の版間の差分

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見始めは「オカマ」という素材を単にオモシロ・ガジェットとしてだけ扱ってるワルノリ作品かと、後ろ向きに見てた。(最後まで見ると結局「ワルノリ」な作品には違いないんだけど。)
 
見始めは「オカマ」という素材を単にオモシロ・ガジェットとしてだけ扱ってるワルノリ作品かと、後ろ向きに見てた。(最後まで見ると結局「ワルノリ」な作品には違いないんだけど。)
  
なにせ冠にオカマとついてるにもかかわらず、朝川ひかる以外ガチのニューハーフの人はみんな脇役端役で、主要キャストはたけし軍団などオカマでもなんでもない俳優やタレントがキワモノ的に演じているのだ。
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なにせ冠にオカマとついてるにもかかわらず、朝川ひかる以外ガチのニューハーフの人はみんな脇役端役で、主要キャストはたけし軍団など「オカマ」でもなんでもない俳優やタレントがキワモノ的に演じているのだ。
  
これが化粧もヅラも馴染まない上にへんちくりんな甲高い奇声で演技をしてるもんだから、もうオカマをバカにしてるような安いコントみたいにしか見えず、それが笑いにもつながっていないので特に前半は「何だこりゃ」感がたえずつきまとっていた。<SMALL>(注1)</SMALL>
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これが化粧もヅラも馴染まない上にへんちくりんな甲高い奇声で演技をしてるもんだから、もう性的少数者をバカにしてるような安いコントみたいにしか見えず、それが笑いにもつながっていないので、特に前半は「何だこりゃ」感がたえずつきまとっていた。<SMALL>(註01)</SMALL>
  
  
ところが志垣太郎の浅野ママが死んだあたりから次第に面白くなってくる。
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ところが、ストーリー的には志垣太郎の浅野ママが死んだあたりから次第に面白くなってくる。
  
  
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バブル時代にあってお金が余ってしょうがないからってんで、なんでもイイから予算を消化しようと制作したかんじの一面もあるが、一応ちゃんと面白いものを作ろうというココロザシが見える。
 
バブル時代にあってお金が余ってしょうがないからってんで、なんでもイイから予算を消化しようと制作したかんじの一面もあるが、一応ちゃんと面白いものを作ろうというココロザシが見える。
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ギャランティには困ってないと見えて、脇には由利徹〜「平成名物テレビヨタロー」のメンバーまでいろんな人が出ている。
 
ギャランティには困ってないと見えて、脇には由利徹〜「平成名物テレビヨタロー」のメンバーまでいろんな人が出ている。
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思いもかけず、急に金満になった日本を象徴するように、クルーザーは立派だけど湾岸のビルがしょぼかったり、雑居ビルの屋上に唐突に露天風呂があったり、なんでもないオフィスに高級電動式社長椅子があったり、受け皿は今までの日本なのに小道具大道具だけすごくアンバランスに金目のものだったりする。
 
思いもかけず、急に金満になった日本を象徴するように、クルーザーは立派だけど湾岸のビルがしょぼかったり、雑居ビルの屋上に唐突に露天風呂があったり、なんでもないオフィスに高級電動式社長椅子があったり、受け皿は今までの日本なのに小道具大道具だけすごくアンバランスに金目のものだったりする。
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注1…こうした時代背景では「オネエ系」という言い方もなく、ニューハーフや女装家、ゲイなどLGBTでメディアになじんでる人材がいまほどにおらず、まだまだ一般の目も珍奇なものを見るソレであった。
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註01…こうした時代背景では、ニューハーフやゲイなどLGBTに対しての理解も薄く、女装家などの嗜好についての認識も無い。
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性的少数者であることをカミングアウトした人材が、メディアにはいまほどにおらず、まだまだ一般の目も珍奇なものを見るソレであった。
  
  
 
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1991]]
 
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1991]]

2020年6月7日 (日) 15:27時点における版

作品概要
制作会社 ハゴロモ
公開年度 1991年
内蔵助役 吉村明宏
評価 2ツ星

バブル時代のVシネマ。

見始めは「オカマ」という素材を単にオモシロ・ガジェットとしてだけ扱ってるワルノリ作品かと、後ろ向きに見てた。(最後まで見ると結局「ワルノリ」な作品には違いないんだけど。)

なにせ冠にオカマとついてるにもかかわらず、朝川ひかる以外ガチのニューハーフの人はみんな脇役端役で、主要キャストはたけし軍団など「オカマ」でもなんでもない俳優やタレントがキワモノ的に演じているのだ。

これが化粧もヅラも馴染まない上にへんちくりんな甲高い奇声で演技をしてるもんだから、もう性的少数者をバカにしてるような安いコントみたいにしか見えず、それが笑いにもつながっていないので、特に前半は「何だこりゃ」感がたえずつきまとっていた。(註01)


ところが、ストーリー的には志垣太郎の浅野ママが死んだあたりから次第に面白くなってくる。


地上げのために店を巻き上げられた「オカマバー赤穂」のオカマたちが浪々の身となって"男"に身をやつして街に溶け込むというアイデアがシャレが利いているし、忠臣蔵のサブ人気キャラも登場するなど押さえどころがいいのだ。

バブル時代にあってお金が余ってしょうがないからってんで、なんでもイイから予算を消化しようと制作したかんじの一面もあるが、一応ちゃんと面白いものを作ろうというココロザシが見える。


ギャランティには困ってないと見えて、脇には由利徹〜「平成名物テレビヨタロー」のメンバーまでいろんな人が出ている。


思いもかけず、急に金満になった日本を象徴するように、クルーザーは立派だけど湾岸のビルがしょぼかったり、雑居ビルの屋上に唐突に露天風呂があったり、なんでもないオフィスに高級電動式社長椅子があったり、受け皿は今までの日本なのに小道具大道具だけすごくアンバランスに金目のものだったりする。

作品がどうのというより、バブル景気が見える作品。


註01…こうした時代背景では、ニューハーフやゲイなどLGBTに対しての理解も薄く、女装家などの嗜好についての認識も無い。

性的少数者であることをカミングアウトした人材が、メディアにはいまほどにおらず、まだまだ一般の目も珍奇なものを見るソレであった。