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吉良上野介

327 バイト追加, 2022年3月2日 (水) 17:24
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吉良上野介【きら こうずけのすけ】
名門の末裔で、官位が高い「高家」の人。権力志向型。 名門の末裔で、官位が高い「高家」の人。権力志向型。インテリ。仕事は完璧。趣味人。
皇室からの使者を江戸城で接待するイベントのリーダーだった。 皇室からの使者を江戸城で接待するイベントのリーダーだった。
イベント係の部下、浅野内匠頭からうらまれ、斬りつけられる。吉良のイジメが原因とされている。イ ベント係の部下、浅野内匠頭からうらまれ、斬りつけられる。吉良のイジメが原因とされている。
イジメのきっかけは、自分への浅野の進物がショボかったのにカッと来てからとか(もっともオーソドックス)、自分ところの三河(愛知県)の塩稼業が赤穂より具合悪くて快く思ってなかったとか(「 イジメのきっかけは、自分への浅野の進物がショボかったのにカッと来てからとか(もっともオーソドックス)、自分ところの三河(愛知県)の塩稼業が赤穂より具合悪くて快く思ってなかったとか(「[[峠の群像]]」ほか)、吉良が[[浅野内匠頭]]の[[阿久里/瑤泉院|奥さん]]に横恋慕してふられたとか([[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本]])というのがドラマでは定石。
レアなところでは、あるお大名のところの掛け物について浅野が吉良をやり込めたのを根に持たれたとか( レアなところでは、あるお大名のところの掛け物について浅野が吉良をやり込めたのを根に持たれたとか([[鍔屋宗伴]])、「とにかく虫が好かなかった」(「[[剣]]」)。
…どっちにしろ、吉良にとって気の利かない&聞き分けの無い、ウマの合わない部下にイラッとした感じ。
ことあるごとに浅野を「田舎大名」とののしり(ちなみに浅野の領地は播磨の国だが、 ことあるごとに浅野を「田舎大名」とののしり(ちなみに浅野の領地は播磨の国だが、[[浅野内匠頭]]個人は東京・築地の生まれ&育ち)、イベント直前に浅野の用意したインテリア(墨絵の屏風)にダメ出しをした上に扇子で真ん中から引き裂いたり、その屏風をぶっ倒したり、用意する料理は精進料理だと嘘情報を流して浅野のケータリングを台無しにしたり。増上寺(見物コース内休憩所)の100枚(とか2〜500枚)からの畳替えのオーダーを内緒にしてたり、書き付けを浅野だけに見せてあげないとか、しまいにゃイベント当日着てくるドレスコードも客を迎える場所も開催時間もことごとく嘘情報を流すなど、徹底的なパワハラをしたら、浅野にキレられて斬られた。傷は浅手。(「[[峠の群像]]」のようにイジメもさることながら徹底的な相性の悪さや連絡の悪さが原因とするドラマもある。)
内匠頭の奇行の原因としてもっとも有力なのは松の廊下で挨拶をした内匠頭を吉良が鼻でフンと笑ったのがきっかけだったという説で、これは後に「 内匠頭の奇行の原因としてもっとも有力なのは松の廊下で挨拶をした内匠頭を吉良が鼻でフンと笑ったのがきっかけだったという説で、これは後に「[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|ハナでフン忠臣蔵]]」という芝居になり、現在まで繰り返し上演されている(ウソ)。
昔だし、その地位、年齢から考えて、目下に対して傲岸不遜なタチであったんじゃないかと推測する人もいる。 昔だし、その地位、年齢から考えて、目下に対して傲岸不遜なタチであったんじゃないかと推測する人もいる。
実際に欲深さと横柄さには定評のあった人だそうで、親戚関係の津軽公の家来も吉良の態度にブチ切れて殺そうとした過去もあるとか。 実際に欲深さと横柄さには定評のあった人だそうで<small>(「吉良上野介の正体」佐佐木杜太郎 エルム刊/「上杉と吉良から見た赤穂事件」青木昭博 小林輝彦共著 米沢信用金庫叢書)</small>、親戚関係の津軽公の家来も吉良の態度にブチ切れて殺そうとした過去もあるとか。<small>(「戦国と幕末」池波正太郎 角川文庫)</small>
三田村鳶魚のインタビュー著書には実際に幕末にご馳走役を務めた殿様のスタッフ(家老)の気が変になっちゃったナマ証言が残っているそうで 三田村鳶魚のインタビュー著書には実際に幕末にご馳走役を務めた殿様のスタッフ(家老)の気が変になっちゃったナマ証言が残っているそうで<small>(要出典)</small>、高家の陰湿なコミュニケーションはもう伝統化していた?
事件後、現役リタイア。呉服橋(東京駅付近)から本所一ツ目(松坂町/墨田東両国三丁目)に引っ越し。長っぽそいでっかい家に住んでた。2550坪(約8430m²)。東西の表門〜裏門133m、南北63m(<なに見て書いたのか、計算が合わない。145 事件後、現役リタイア。呉服橋(東京駅付近)から本所一ツ目(松坂町/墨田東両国三丁目)に引っ越し。長っぽそいでっかい家に住んでた。2550坪(約8430m²)。東西の表門〜裏門133m、南北63m(<なに見て書いたのか、計算が合わない。145.8m✕68.2mと、聞いたこともある)。
倒産した赤穂藩の残党が仕返しにくるというウワサからセキュリティ対策はしていたものの、警備員は120(90?150?)名もいながら討ち入りの時はみんな眠ってるところを叩き起こされた上、長屋でスタンバイしてた連中は浪士の数がハンパじゃないと勘違いして出動しなかった。 倒産した赤穂藩の残党が仕返しにくるというウワサからセキュリティ対策はしていたものの、警備員は120(90?150?)名もいながら討ち入りの時はみんな眠ってるところを叩き起こされた上、長屋でスタンバイしてた連中は浪士の数がハンパじゃないと勘違いして出動しなかった。
雪の夜に起き抜けのパジャマ姿、ねぼけまなこ&裸足で応戦した警備は完全武装で47人の浪士に完敗する。 雪の夜に起き抜けのパジャマ姿、ねぼけまなこ&裸足で応戦した警備は完全武装で47人の浪士に完敗する。
討ち入りされて一家断絶になっちゃったが、吉良さんはなにげに 討ち入りされて一家断絶になっちゃったが、吉良さんはなにげに'''三河では今も名君として評判がいい'''。
・・・とは言うものの、悪者だって家に帰れば良き夫、良き父にかわることはよくあることで、領地からしぼりとらなくたって吉良ほどの財産と名声があればなおのこと……とは池波正太郎氏の談。<small>(「戦国と幕末」角川文庫/「忠臣蔵と日本の仇討ち(中央公論社<「歴史と人物(S46.12月号)」抜粋)」)</small>
現代にも一部が残る堤防を作ったことと、農耕用の駄馬にまたがって現場を視察したと伝えられる親近感が、名君の根拠となっている(要確認)が、そのあたりがうまく構成されているのが、稲田和浩先生作の浪曲「赤馬の殿様」である。東家孝太郎師匠の持ちネタ。 現代にも一部が残る堤防を作ったことと、農耕用の駄馬にまたがって現場を視察したと伝えられる親近感が、名君の根拠となっている(要確認)が、そのあたりがうまく構成されているのが、稲田和浩先生作の浪曲「赤馬の殿様」である。東家孝太郎師匠の持ちネタ。
* [[吉良義周]](養子)
* [[松浦鎮信]](おとなりさん)
* [[土屋主税逵直|土屋主税]](おとなりさん)

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