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大石内蔵助
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[[画像:ooisi1chiezo0421.jpg|thumb|役者絵:片岡千恵蔵]][[画像:ooisi4.jpg|thumb|役者絵:長谷川一夫]]
[[画像:ooisi2.jpg|thumb|役者絵:三船敏郎]]
[[画像:ooisi3.jpg|thumb|役者絵:ビートたけし]]
[[画像:kannzabu2.jpg|thumb|役者絵:中村勘三郎]]
討ち入りのリーダー。絵がうまい。剣術は東軍流。おんな好き。さむがり。
行動が不可解なことがあり部下はなにかと「大石様はナニを考えておられるのかっ!」とウワサする。
役者が演じる際、本来ならば「演技がうまいとか年齢的に似合うというだけでなく、武芸に通じ、政治性に富み、世態人情の裏も表もわかっている人柄、という人品でなければ務まらない」(南部僑一郎「別冊近代映画 昭和34年2月号」)
== じゃっかんつっこんだエピソード もうじゃっかんつっこんだエピソード ==
元禄14年3月18日23時頃(ほんとは19日午前5時頃?)、内蔵助の屋敷に早駕籠が江戸から宙を飛んできた。乗っていたのは[[早水藤左衛門]]と[[萱野三平]]。彼らが持ってきたのは江戸城中で[[浅野内匠頭|殿様]]が傷害事件を起こしてしまったというニュース。その後続報を[[原惣右衛門]]と[[大石瀬左衛門]]が持ってきて、とにかくだしぬけに'''殿様切腹、家は断絶、城地没収、殿様の[[吉良上野介|ケンカの相手]]はおとがめナシ'''と聞いて、城は悲憤慷慨。
起請文をしたため、一同これに血判の上赤穂城を明け渡した。
山科での内蔵助は高利貸しをしたり伏見、墨染、撞木町で太夫、幇間に取り巻かれ遊興三昧をした。周囲は彼のそんな姿を見て「犬侍ちくしょう武士」とあだ名し侮蔑。しまいに内蔵助は「遊女を身請けするから」と言って妻の[[大石りく|りく]]を離別し実家に返す。'''しかしこれは敵を欺く計略'''だったのであります。
しかし翌・元禄15年、約束の期日が過ぎても内蔵助は動かなかった。
これまで殿様の後釜に引っ張り出そうとしてた[[浅野大学|弟君]]が7月になって「広島の本家にお預け」と決定。お家再興の望みが絶たれると内蔵助は遂に、京都円山(まるやま)に上京中の安兵衛たちも呼び、あらためて討ち入り決行をメンバーに告げる。が7月になって「広島の本家にお預け」と決定。お家再興の望みが絶たれると内蔵助は遂に7月、京都円山(まるやま)に上京中の安兵衛たちも呼び、あらためて討ち入り決行をメンバーに告げる。(円山会議)
いよいよ10月07日京都出立。[[垣見五郎兵衛]]と名を変えて江戸下向。川崎・平間村に到着し、同士が代わる代わる内蔵助を訪ねては密議を重ね、その後は江戸・日本橋、石町三丁目の小山屋弥兵衛の店を借りて潜伏した。
会社倒産後は部下たちから「太夫(たゆう)」「大府(たいふ)」「ご頭領」と呼ばれる。
池田久衛門を名乗って京都山科で隠れ住んでいた。
[[軽部五兵衛|川崎のお百姓さん]]ちに泊まった時は家来の[[瀬尾孫左衛門]]の名を語った。
戒名「忠誠院刃空浄剣居士」。
辞世「あら楽し(楽や) 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」享年45歳