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大野九郎兵衛

4,116 バイト追加, 2022年5月22日 (日) 18:04
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トンヅラのキッカケは大野が侮辱した[[岡嶋八十右衛門]]にキレられて「勝負しろ!」と家に押しかけられてビビッたこと。
主家断絶後は関西中に彼の不忠・不義のうわさが駆け抜けていたので、江戸の友達・木村善助をたより、麹町の中根左右衛門の屋敷の明長屋に息子と住まい、横領金を元手に烏金<small>(*1を貸して安穏と暮らしていた。ところが吉原帰りを1)</small>を貸して安穏と暮らしていた。ところが吉原帰りを[[間瀬孫九郎]]に目撃され、手を回されてすぐ長屋を追い出される。友達・木村の紹介文を持って今度は放蕩無頼の殿様・富永喜兵衛の屋敷に厄介になる。しかし喜兵衛に「ここにいることを元・赤穂藩士にチクッてもいいんだぞ」と連日ゆすり、たかられて「これじゃ尻の毛まで抜かれる」とここも逃げ出し、浅草安倍川町に家を借りる。貸した金も踏み倒されるし、親子共々ヤケのヤンチャンになっていたある日、追跡を続けていた間瀬孫九郎に再び見つかり、親子共々斬り殺される。
映画やドラマで仮名手本忠臣蔵の[[斧九太夫]]的なキャラで脚色される場合、祇園で浪士に呼び出されて殺されるであるとか、大石と間違われて吉良側の刺客に殺される、などの末路が用意されている。
実際の晩生はホームレスになったとか発狂したとか伝えられる。実際の晩生はホームレスになったとか発狂したとか伝えられる。別の講談本では上州磯部でお習字の先生をやって、そこで死んだというエピソードもあり、実際、お墓が同所の松岸寺にあります。(画像) 珍しいところでは、大石内蔵助が討ち入りを失敗した際に米沢(実子の上杉綱憲の領地)で吉良を討ち取ろうという「第二陣」の隊長だったという説があり、大石たちの本懐成就を聞いて安心して切腹をしたという地に供養塔が山形と福島の境近くの板谷峠にある(画像)。 
*1…からすがね:一両を貸して天引きで二貫引いて手数料を一割占めて本人の手取りは七貫くらいになって、証文は一両という、いたって冥利の悪い貸し方。
 
 
* [http://blog.kusuya.net/?day=20200507 忠臣蔵ぶろぐ「やまがた忠臣蔵(3)」]…中盤に、大野が潜伏したと言われる板谷峠。
 
== 関連項目 ==
* [[斧九太夫]](大野をモデルにした歌舞伎キャラ)
* [[大野軍右衛門]](息子)
 
 
 
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画像:k_house.jpg | 邸宅跡地。(赤穂)
画像:k_last.jpg | 米沢の山奥にある供養塔。
画像:syoganji.jpg | 群馬県 松岸寺のお墓  刻まれた寛延四年没が事実だと百歳超えの寿命
画像:fumonji.jpg | 群馬県 普門寺の供養塔
画像:zenko_ji.jpg | 山梨県 能成寺のお墓
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