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大高源五
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[[画像:OOTAKA.jpg|thumb|役者絵:平田 満]][[画像:Wabi.jpg|thumb|沼津の旅館が家宝にしてた詫証文。
明治時代の記事より。]][[画像:KAHI.jpg|thumb|なんの説明も無く両国の橋のたもとにたたずむ歌碑。]][[画像:Itami.jpg|thumb|兵庫県伊丹の銀行の角にたたずむ歌碑。]][[Category:四十七士|おおたかげんご]]
[[Category:俳諧三羽がらす|おおたかけんこ]]
大高源五【おおたか げんご】…風流キャラ。俳号「子葉(しよう)」。
12月14日の吉良屋敷で茶会があることを[[宝井其角]]、または[[山田宗遍]](やまだそうへん)から聞いた人。
「義士大観」によると橋本綱常男爵(医師)が「神崎は大高に比べて逸話がないから」と講談師にアレンジをアドバイスをしたために生まれた誤伝としてある。
元禄15年夏頃、[[浅野大学大石内蔵助|内蔵助]]さんをヘッドにして倒産した赤穂藩を再興させてくれと幕府にお願いして、期待してたのに「ナシ」と言うことになっちゃっては[[大石内蔵助|大石浅野大学]]は討ち入りを決意するわけだが、「大石さんについていく」と言ってくれた藩士たちに心変わりがないか、先年に交わした決心の念書「神文(しんもん)」をみんなにいったん返す役をさんをヘッドにして倒産した赤穂藩を再興させてくれと幕府にお願いしてたのに、結局「ナシ」と言うことになっちゃっていよいよ討ち入りを決意するわけだが、長いこと待たせてしまった藩士たちに心変わりがないか、先年に交わした決心の念書「神文(しんもん)」をみんなにいったん返す。その役を[[貝賀弥左衛門]]と一緒に大高がお使いをたのまれる。と一緒にたのまれたのが大高源五である。
返すと言うのは方便で、その時黙って受け取るやつはメンバーから外し、覚悟あるものを見極める大石の計画であった。「神文返し」
歌舞伎には、彼と宝井其角の交流を描く「[[松浦鎮信|松浦の太鼓]]」、義兄の話「[[水沼久太夫|腹切り魚の別れ]]」がある。
長唄「笹や節」は「笹や笹笹笹や笹笹」で始まり両国橋の別れを唄うが、[[赤埴源蔵|赤垣源蔵]]や[[阿久里/瑤泉院|南部坂]]も歌詞に入ってテンコ盛り。
それをじゃっかんイメージした出だしの三橋美智也の歌謡曲「笹売り源吾」は愉快な曲(CD出てます)。
まんが「のらくろ軍曹」ではのらくろが演じ、煤竹売りではなくあんまになって吉良邸を散策した。
* [[水沼久太夫]](義理の兄)
* [[お縫]](妹)
* [[松浦鎮信]])(妹の奉公先)