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山鹿素行

579 バイト追加, 2022年3月3日 (木) 03:18
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 その後退職し、江戸に出て民間の学者となる。
 そこで反政府的なことを説いて、お上から目を付けられ、赤穂に流刑を言い渡される。<small>(註01)</small>
 [[大石内蔵助]]は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」「山鹿送り」。実際は配流されたとき内蔵助8歳w。)。
 討ち入りの時に[[大石内蔵助|内蔵助]]が陣太鼓たたいて、眠ってた吉良邸の用人がガバッと起きて耳を澄まし「一打ち二打ち、三流れ…アレは山鹿流の陣太鼓!?」と言って、そばの刀もって飛び出して行くときの「山鹿流の陣太鼓」ていうのが、この先生もちまえの軍学流の、という意味。
 「あれは山鹿流の」と、知ってて当たり前みたいに言ってるわりには実在しないので、'''ドラマによってリズムとかまちまち'''です。(「一打ち二鼓三段流れ、十二陰陽五行切り返し、三丁陸六つ、一鼓六足、天地人の乱拍子」(「です。(「一打ち二鼓三段流れ、十二陰陽五行切り返し、三丁陸六つ、一鼓六足、天地人の乱拍子」([[尾上松之助の忠臣蔵|最古の忠臣蔵]]」)「七つ七つ三丁陸六つ天地人の乱拍子」というのもある。「)。また「七つ七つ三丁陸六つ天地人の乱拍子」というのもある。([[槍一筋日本晴れ]]」)))
 ドラマに本人が出てくることはまず無い(厳密には「[[元禄繚乱]]」のように時を大きくさかのぼった作品に登場しないこともないが、「山鹿護送」のような大きな扱いでは出てこない。)が、とにかく劇中に名前はよく出てくる。
 
 
 
註01…赤穂事件とも、忠臣蔵とも関係ない?のだが、素行先生を江戸から追い出した、保科正之(会津藩主。将軍の補佐役)という人物は、吉良上野介と上杉家の富子さんの結婚の取り持ちや(上杉年譜)、吉良の実子・綱憲を上杉家に養子にする計らいをした人である。また、上野介の奥さん・富子のお兄さんはこの保科正之の娘を正室にしている。
 
事件と関係はないのだけれど、因縁を感じる。

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