差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀

6,016 バイト追加, 2019年11月11日 (月) 11:25
編集の要約なし
お芝居はステキだったし、役者さんは良かったし配役もうまくいってる感じ。舞台の見せ方のアイデアも構成も好き。お芝居はステキだったし、役者さんは良かったし配役もうまくいってる感じ。舞台の見せ方のアイデアも美術構成も好き。
さらにシュルレアリスム的感性(チラシより)の演出もセンスがあり、面白い。そして好み。
というわけで、チラシ上で「原作」にしてると言ってる大序〜四段目の内容はおろかキーパーソンである[[加古川本蔵]]も[[お軽|おかる]][[早野勘平|勘平]]も出てこない。ベジャールお気に入りの[[鷺坂伴内]]も。予定する構成を知らないが左様に重要人物たちが不在となるとこの時点で次以降(この芝居は全三部作を予定)十一段あるほぼ全段(五、六、七(半分)、八、九段目)がナシになることになる。それで…「原作」?も。
予定する構成を知らないが、左様に重要人物たちが不在となると、この時点で次以降の五、六、七(半分)、八、九段目(仮名手本は全部で十一段。)がことごとく、'''ナシ'''になることになる。…それで…「原作」?(この芝居は全三部作を予定)
こうして作家さんは主従のあり方や幕府と朝廷との関係(<こんなの仮名手本に出てこない。しつこくてすいません)などを独特オリジナルで築き、尊皇のイメージの赤穂武士に京都にまで牙を向けさせる。こんな物騒なありさまで今後討ち入りになっていくとなるとその動機には最近にありがちな「四十七士はテロ」という呼ばわりに歩調を寄せていくんじゃという不安がつのる。こうして作家さんは、主従のあり方や、幕府と朝廷との関係(<こんなの仮名手本に出てこない。…しつこくてすいません)などを独特オリジナルで築き、尊皇のイメージの赤穂武士に、京都にまで牙を向けさせる。 こんな物騒なありさまで今後討ち入りになっていくとなると、その動機には'''最近ネットとかでアンチにありがち'''な「四十七士はテロ」という呼ばわりに歩調を寄せていくんじゃという不安がつのる。
「デタラメこそがシュールレアリズムなのだ」と言うのならそれでかまわないと思いますが、ケアレスミスと見分けがつかないデタラメは微妙すぎる。「デタラメこそがシュールレアリズムなのだ」と言うのなら、それでかまわないと思いますが、ケアレスミスと見分けがつかないデタラメは微妙すぎる。
古典演劇の再構築によって仮名手本要素がゼロになったと言うのなら、結果的に見たこともない構成になってなければ成り立たない。仕上がりは明らかにオーソドックスな忠臣蔵ドラマに近い。
ブーブー言ってるわりに星が二個もあるのは、最初に申し上げたように全体の好感度は決して低くないのである。本作は三部作の一作目だそうなのだが第二部、第三部も観ようかなという気持ちは、いまのところ(公演千秋楽鑑賞の2018.7.15現在)、ある。(あとあのー…役者さんに義士ようかんが差し入れで入ってるご様子だしw<というヒイキ(Togetter調べ))15現在)、ある。(あとあのー…役者さんにあたしが描いた義士ようかんが差し入れで入ってるご様子だしw<というヒイキ(Togetter調べ))
だから今回にしてもわざわざ伊丹まで鑑賞だけのために東京から出かけた後悔は無い。だから今回にしても、わざわざ伊丹まで鑑賞だけのために東京から出かけた後悔は無い。
とはいえ、こうした不満は時間が経つとどう大きくなるかもわからない。次回のお知らせを見つけた時点で、ふたたび(みたび)伊丹までわざわざ観に行くほど吸引力が続いているのやら、好感度の賞味期限はいまのところ不明。
あえて言うなら「[[新春ワイド時代劇 忠臣蔵−決断の時|決断の時]]」(03)…。スピンオフも入れれば「[[悲恋おかる勘平]]」(56)も。1%ということですね、だから。
ま、3回だけど「何度も取り上げられてる」には違いない。ま、たった3本にせよ「何度も取り上げられてる」には違いない。 (あっあとパロディの「[[サラリーマン忠臣蔵’60/続サラリーマン忠臣蔵’61|サラリーマン忠臣蔵]]」も入れれば4回の映像化か。いや、おかる勘平だけピックアップすれば連ドラからもちょっと何本か…まいっか。しつこくてすいません。)    == 忠臣蔵・破 エートス/死 =={{Cinema|制作=エイチエムピー・シアターカンパニー|公開=2019|内蔵助=高安美帆|星=2|頃=}}と、いうわけで翌年にめでたく公開された、続編を観了。 前回見て「いいな」と思った役者さん([[高野権中納言|大納言安春]]役と、当時の[[多門伝八郎]]=今回は[[堀部安兵衛|安兵衛]]役)の出番が増えてうれしかった。そして、登場人物をすごく整理してある。 美術もシンプルで効果的で機能的で素敵。 衣裳もひじょうに洗練されている。ビジュアル的にいろいろ無駄が無い。 先回申し上げたデタラメについては、今回はおおいに遊んでいるかんじで、聞いたこともない赤穂浪士たち(討ち入りにはオリジナリティあふれる言い分があって、先回の心配は払拭された)の思惑が面白かった。<small>(註釈01)</small> でも、 たとえば、吉良の後任(?)の[[戸田能登守|戸田忠真]](なんで?)が京都御所まで接待役(なんの?)の打ち合わせに出かけるシーン(これが冒頭)を見て、 「これは、わかっててあえてふざけているのか。それとも、不勉強でこういうシーンを作っちゃったのか」 と、思ったとき、前回あれだけ気になった「仮名手本忠臣蔵原作」を、またぞろ性懲りもなく、今回も劇場で配ってるチラシで演出家さんがクチにしてたのが頭をかすめると、「ああ…テキトーなんだな」と、とたんに目の前で繰り広げられてるアレコレがガッカリなモノに見えてきて、興ざめしてしまうのでありました。<small>(註釈02)</small> 周囲のディティールがテキトーだから、根幹のデタラメを支え切れず、全体的にタワゴトになった。  あたしはひきずったんですね。ともかく。 どうしてそこばかり気になるかというと、この芝居を「現代日本演劇のルーツ」シリーズの一貫として堂々とリリースしてるからなのであります。 つまり先回から1年経っても、なんのエクスキューズも無く、シャアシャアと「仮名手本忠臣蔵原作」を言ってしまうという態度は、どうせこんなもんだろうと「ルーツ」や「忠臣蔵劇」を軽視しているのか、どうせ客にはわからないだろうという侮辱なのか、いずれにしろひじょうに印象が悪い。 こう言っちゃ悪いかもだけどコレ、ユーザーに対して、偽装の食品表示ラベル貼る業者と、同じあやまちを犯している。(同時に、過去にこの劇団が上演しているという、カミカケテとかアブラジゴクはちゃんとやってて仮名手本だけがこんななのか、いつもだいたいこんなふうなのかという不信感もつのる。) その非礼を挽回するほどの衝撃は、作品からは、ひびいてこなかった。 演出家さんの往生際の悪さを誰も諌めることが出来なかった、この団体をとりまく現場全体の限界もそこに見るのであります。(本作が「仮名手本を原作にして創作した脚本家の作品」だとする、責任転嫁みたいな説明がチラシにあるが、脚本家さんは納得づくなのかなあ。作品は、完全な赤穂事件のモジリであって、忠臣蔵要素<small>(註釈03)</small>のチの字も出てこないのだ。)  伊丹までいそいそと観に行った自分が愛しいので、星2つとさせていただきます。役者さんみんな良かったし。([[大野九郎兵衛]]の人だけ、フワフワっとしていたけど。ちなみに九郎兵衛も四十七士。)    註釈01…以下ネタバレ。本作で一番特徴的なのは、討ち入りのあとに上杉が攻めて来れば戦争になるから、それでこの世をまた戦国時代にしようという赤穂浪士の思惑。なかなかよいデタラメだが、構成がいたって堅苦しく、長〜い立ち話と、ありえない相関関係(外様大名が急に吉良クラスの高家衆に配置替えになったり、公家が浪人を遊里で接待したりをギャグじゃなく、やる)のせいで、デタラメのバラエティ性は完全に霞んだ。 実際は、討ち入り自体が討ち死に覚悟の戦争なんだけど、現代人の視点で書いてるから、展望が吉良邸襲撃が成功するのが当たり前という前提の上に成り立っている。  註釈02…公演を宣伝するネットやチラシからは「仮名手本忠臣蔵」の文字が消えていたので、ホッとしてたのに…。つか、俺が「原作」の意味を取り違えているのかなあ。 つか、あとで気づいたんだけど、劇団のホームページで「近松門左衛門原作」なんて言ってるんで、コレ、'''あたしが熱吹く相手を大いに間違えてる'''気がしてきた…。  註釈03…いわゆるおなじみの名場面アレコレの話。しっかし近頃の芝居や映像作品は、作家の手から手へ渡されてはぐくんだソッチではなく、だれもかれも、とかく赤穂事件をハナから題材にとってどうにかしようとする暴挙が目立つ。 故人曰く「型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です。」  
(あっあとパロディの「[[サラリーマン忠臣蔵’60/続サラリーマン忠臣蔵’61|サラリーマン忠臣蔵]]」も入れれば4回の映像化。おかる勘平だけピックアップすれば連ドラからもちょっと何本か…まいっか。しつこくてすいません。)あと、これ三部作と言っていましたが、どうやらこれでオワリっぽいです。

案内メニュー