差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀

1,830 バイト除去, 2021年10月2日 (土) 07:35
編集の要約なし
そしてチラシのクレジットにも「原作=竹田出雲・三好松洛・並木千柳」とある。
どぉして、そんな大胆なことを言っちゃったのだろう??だってコレ、どぉして、そんな大胆なことを言っちゃったのだろう??だってコレ、実際の内容と違う'''ウソなんだもん'''。(不遜な言い方ですいません。本文は個人の感想につきご容赦を。)
ストーリーも登場人物も、なにひとつ仮名手本していないので、この文言がひときわ、出来栄えを台無しにしてる。ストーリーも登場人物も、なにひとつ仮名手本していないので、この口上書がひときわ、出来栄えを台無しにしてる。
憶測だが、タイトルに「忠臣蔵」ってついてるもんだから、中身を確認しないで「お茶の間におなじみの忠臣蔵…きっと原作は仮名手本だろう」と、安易に勘違いしたパターンが濃厚(すごくありがち)。 というのも、チラシで「仮名手本忠臣蔵は(略)映像作品の原作として何度も取り上げられています。」と言っちゃってるし。<small>(※註01)</small>憶測だが、タイトルに「忠臣蔵」ってついてるもんだから、「お茶の間におなじみの忠臣蔵って…きっと原作は仮名手本だろう」と、安易に勘違いしたパターンが濃厚(すごくありがち)。
というわけで、チラシ上で「原作」にしてると言ってる大序〜四段目の内容は言うまでもなく、キーパーソンである[[加古川本蔵]]も[[お軽|おかる]][[早野勘平|勘平]]も出てこない。ベジャールお気に入りの[[鷺坂伴内]]さえも。
予定する構成を知らないが、左様に重要人物たちが不在となると、この時点で次以降の五、六、七(半分)、八、九段目(仮名手本は全部で十一段。)がことごとく、予定する構成を知らないが、左様に重要人物たちが不在となると、この時点で次以降の五、六、七(半分)、八、九段目(仮名手本は全部で十一段。)が、'''ナシ'''になることになる。…それで…「原作」?(この芝居は全三部作を予定)になることになる。……それで……「原作」?(この芝居は全三部作を予定)
こうして作家さんは、主従のあり方や、幕府と朝廷との関係(<こんなの仮名手本に出てこない。…しつこくてすいません)などを独特オリジナルで築き、尊皇のイメージの赤穂武士に、京都にまで牙を向けさせる。こうして作家さんは、主従のあり方や、幕府と朝廷との関係など、およそ仮名手本に出てこない要素をふんだんに盛り込み、尊皇のイメージの赤穂武士に、京都にまで牙を向けさせる。
こんな物騒なありさまで今後討ち入りになっていくとなると、その動機には'''最近ネットとかでアンチにありがち'''な「四十七士はテロ」という呼ばわりに歩調を寄せていくんじゃという不安がつのる。
「デタラメこそがシュールレアリズムなのだ」と言うのなら、それでかまわないと思いますが、ケアレスミスと見分けがつかないデタラメは微妙すぎる。「デタラメこそがシュールレアリズムなのだ」と言うのなら、それでかまわないと思いますが、不勉強と見分けがつかないデタラメは微妙すぎる。
古典演劇の再構築によって仮名手本要素がゼロになったと言うのなら、結果的に見たこともない構成になってなければ成り立たない。仕上がりは明らかにオーソドックスな忠臣蔵ドラマに近いのだ。古典演劇の再構築によって仮名手本要素がゼロになったと言うのなら、結果的に見たこともない構成になってなければ成り立たない。仕上がりは明らかにオーソドックスな忠臣蔵ドラマに近い。
だからたとえば「講談がベース」とうたい、原作=桃川如燕とかにしてたらツッコミどころがうんと減り星ももう1個増えていたかも。どぉして仮名手本だなんて…
 ブーブー言ってるわりに星が二個もあるのは、最初に申し上げたように全体の好感度は決して低くないのである。本作は三部作の一作目だそうなのだが第二部、第三部も観ようかなという気持ちは、いまのところ(公演千秋楽鑑賞の2018.7.15現在)、ある。(あとあのー…役者さんにあたしが描いた義士ようかんが差し入れで入ってるご様子だしw<というヒイキ(Togetter調べ))15現在)、ある。(あとあのー…役者さんに、あたしが描いた義士ようかんが、ご贔屓筋から差し入れで入ってるご様子だしw<という手心(Togetter調べ))
だから今回にしても、わざわざ伊丹まで鑑賞だけのために東京から出かけた後悔は無い。
とはいえ、こうした不満は時間が経つとどう大きくなるかもわからない。次回のお知らせを見つけた時点で、ふたたび(みたび)伊丹までわざわざ観に行くほど吸引力が続いているのやら、好感度の賞味期限はいまのところ不明。
 
 
 
※註01
 
たぶん仮名手本忠臣蔵のタイトルに「忠臣蔵」と入ってるから、内容を知らない書き手が、シンプルに思い込み(知ったか)でそう書いちゃったのだと思う。ほんとうに間違える人が少なくないのだが、映像化されてるのは、事件を脚色した、講談の「赤穂義士伝」が圧倒的なのである。([https://www.youtube.com/watch?v=iC_ykgWzViY&t=638s 参考>「忠臣蔵文化ちゃんねる」]。)
 
最近になって、もりいはフンワリ肌に感じているのだが、一般の人の多くは、「仮名手本忠臣蔵」が四十七士の活躍も無く、人間ドラマに重点を置いたオリジナルストーリーであることをご存じないようなのである。
 
もりい個人が300本ほど忠臣蔵ばっかし映像作品やお芝居を見た中では、仮名手本忠臣蔵を映像化したものはほんとに少なく、「[[大忠臣蔵]]」(1957)'''1本'''くらい。
 
あえて言うなら「[[新春ワイド時代劇 忠臣蔵−決断の時|決断の時]]」(03)…。スピンオフも入れれば「[[悲恋おかる勘平]]」(56)も。1%ということですね、だから。
 
ま、たった3本にせよ「何度も取り上げられてる」には違いない。
 
(あっあとパロディの「[[サラリーマン忠臣蔵’60/続サラリーマン忠臣蔵’61|サラリーマン忠臣蔵]]」も入れれば4回の映像化か。いや、おかる勘平だけピックアップすれば連ドラからもちょっと何本か…まいっか。しつこくてすいません。)
衣裳もひじょうに洗練されている。ビジュアル的にいろいろ無駄が無い。
先回申し上げたデタラメについては、今回はおおいに遊んでいるかんじで、聞いたこともない赤穂浪士たち(討ち入りにはオリジナリティあふれる言い分があって、先回の心配は払拭された)の思惑が面白かった。先回申し上げたデタラメについては、今回はおおいに調整され、聞いたこともない赤穂浪士たち(討ち入りにはオリジナリティあふれる言い分があって、先回の心配は払拭された)の思惑が面白かった。<small>(註釈01)</small>
でも、
たとえば、吉良の後任(?)の[[戸田能登守|戸田忠真]](なんで?)が京都御所まで接待役(なんの?)の打ち合わせに出かけるシーン(これが冒頭)を見て、
「これは、わかっててあえてふざけているのか。それとも、不勉強でこういうシーンを作っちゃったのか」「これは、わかっててあえてふざけているのか。浅学でこうなっちゃってるのか。」
と、思ったとき、前回あれだけ気になった「仮名手本忠臣蔵原作」を、またぞろ性懲りもなく、今回も劇場で配ってるチラシで演出家さんがクチにしてたのが頭をかすめると、「ああ…テキトーなんだな」と、とたんに目の前で繰り広げられてるアレコレがガッカリなモノに見えてきて、興ざめしてしまうのでありました。<small>(註釈02)</small>
註釈01…以下ネタバレ。本作で一番特徴的なのは、討ち入りのあとに上杉が攻めて来れば戦争になるから、それでこの世をまた戦国時代にしようという赤穂浪士の思惑。なかなかよいデタラメだが、構成がいたって堅苦しく、長〜い立ち話と、ありえない相関関係(外様大名が急に吉良クラスの高家衆に配置替えになったり、公家が浪人を遊里で接待したりをギャグじゃなく、やる)のせいで、デタラメのバラエティ性は完全に霞んだ。註釈01…以下ネタバレ。本作で一番特徴的なのは、討ち入りのあとに上杉が攻めて来れば戦争になるから、それでこの世をまた戦国時代にしようという赤穂浪士の思惑。なかなかユニークなデタラメだが、構成がいたって堅苦しく、長〜い立ち話と、ありえない相関関係(外様大名が急に吉良クラスの高家衆に(高家は完全血統主義なのに)配置替えになったり、公家が浪人を遊里で接待したりをギャグじゃなく、やる)のせいで、デタラメのステージはガタ落ちで、バラエティ性も完全に霞んだ。
実際は、討ち入り自体が討ち死に覚悟の戦争なんだけど、現代人の後知恵視点で書いてるから、討ち入り成功「確定」前提の上に、この珍作戦が成り立っている。また、討ち入り自体が討ち死に覚悟の戦争なのが実際だが、現代人の後知恵視点で書いてるから、この物語は、討ち入り成功「確定」前提の上に、珍作戦が成り立っている。
註釈02…公演を宣伝するネットやチラシからは「仮名手本忠臣蔵」の文字が消えていたので、ホッとしてたのに…。あたしが「原作」の意味を取り違えているのかなあ。
つか、あとで気づいたんですけど、こちらの劇団のホームページで「近松門左衛門原作」なんて言ってて…、そもそもわたくしコレ、つか、あとで気づいたんですけど、こちらの劇団のホームページで仮名手本忠臣蔵を「近松門左衛門原作」なんて言ってて…、そもそもわたくしコレ、真剣にモヤモヤしていたんだけど、'''熱吹く相手を間違えた'''…。やっぱ、いろいろご存じないんだなと。…。やっぱ、いろいろご存じないんだなと。言えば言うほどロジハラになりかねないなと。いろいろ乱暴なことを言ってすみませんでした。
註釈03…いわゆるおなじみの名場面アレコレの話。しっかし近頃の芝居や映像作品は、作家の手から手へ渡されてはぐくんだソッチではなく、だれもかれも、とかく赤穂事件をハナから題材にとってどうにかしようとする暴挙が目立つ。
故人曰く「型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です。」古人曰く「型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です。」
※三部作と言うことで2020年末「忠臣蔵・急 ポリティクス/首 義士の刃は将軍、そして天皇へ」というのがあったようです。
行ってませんが、ネット上の感想を見ると行ってませんが(いや?リモート上演?)、ネット上の感想を見ると
「300年間上演され続けている不屈の名作を、令和というに年に生で観られたことがうれしかった。」…て、ほらぁ、大勘違いしてる人が出ちゃってるじゃん。この人ほか行って恥かきますよ(残念)。そう勘違いするってことは、じゃあきっとまた「仮名手本忠臣蔵原作」って書いて撒いたのかな?「300年間上演され続けている不屈の名作を、令和というに年に生で観られたことがうれしかった。」…て、ほらぁ、大勘違いしてる人が出ちゃってるじゃん。この人、ほか行って恥かきますよ(残念)。そう勘違いするってことは、それじゃあきっとまた「仮名手本忠臣蔵原作」って書いて撒いたのかな?
「女性だけで忠臣蔵を演じるなど、300年前には誰も想像すらできなかったであろう」…宝塚がやってるから大正時代には、すでに想像できたんじゃねえの?知らんけど。

案内メニュー