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忠臣蔵・序 ビッグバン/抜刀

68 バイト追加, 2019年7月15日 (月) 17:50
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というわけで、チラシ上で「原作」にしてると言ってる大序〜四段目の内容はおろかキーパーソンである[[加古川本蔵]]も[[お軽|おかる]][[早野勘平|勘平]]も出てこない。ベジャールお気に入りの[[鷺坂伴内]]も。
予定する構成を知らないが左様に重要人物たちが不在となると、この時点で次以降(この芝居は全三部作を予定)五、六、七(半分)、八、九段目(仮名手本は全部で十一段。)が予定する構成を知らないが、左様に重要人物たちが不在となると、この時点で次以降の五、六、七(半分)、八、九段目(仮名手本は全部で十一段。)がことごとく、'''ナシ'''になることになる。…それで…「原作」?になることになる。…それで…「原作」?(この芝居は全三部作を予定)
こうして作家さんは主従のあり方や幕府と朝廷との関係(<こんなの仮名手本に出てこない。しつこくてすいません)などを独特オリジナルで築き、尊皇のイメージの赤穂武士に京都にまで牙を向けさせる。こんな物騒なありさまで今後討ち入りになっていくとなるとその動機にはこうして作家さんは、主従のあり方や、幕府と朝廷との関係(<こんなの仮名手本に出てこない。…しつこくてすいません)などを独特オリジナルで築き、尊皇のイメージの赤穂武士に、京都にまで牙を向けさせる。 こんな物騒なありさまで今後討ち入りになっていくとなると、その動機には'''最近ネットとかでアンチにありがち'''な「四十七士はテロ」という呼ばわりに歩調を寄せていくんじゃという不安がつのる。
「デタラメこそがシュールレアリズムなのだ」と言うのならそれでかまわないと思いますが、ケアレスミスと見分けがつかないデタラメは微妙すぎる。「デタラメこそがシュールレアリズムなのだ」と言うのなら、それでかまわないと思いますが、ケアレスミスと見分けがつかないデタラメは微妙すぎる。
古典演劇の再構築によって仮名手本要素がゼロになったと言うのなら、結果的に見たこともない構成になってなければ成り立たない。仕上がりは明らかにオーソドックスな忠臣蔵ドラマに近い。
ブーブー言ってるわりに星が二個もあるのは、最初に申し上げたように全体の好感度は決して低くないのである。本作は三部作の一作目だそうなのだが第二部、第三部も観ようかなという気持ちは、いまのところ(公演千秋楽鑑賞の2018.7.15現在)、ある。(あとあのー…役者さんにあたしが描いた義士ようかんが差し入れで入ってるご様子だしw<というヒイキ(Togetter調べ))
だから今回にしてもわざわざ伊丹まで鑑賞だけのために東京から出かけた後悔は無い。だから今回にしても、わざわざ伊丹まで鑑賞だけのために東京から出かけた後悔は無い。
とはいえ、こうした不満は時間が経つとどう大きくなるかもわからない。次回のお知らせを見つけた時点で、ふたたび(みたび)伊丹までわざわざ観に行くほど吸引力が続いているのやら、好感度の賞味期限はいまのところ不明。
あえて言うなら「[[新春ワイド時代劇 忠臣蔵−決断の時|決断の時]]」(03)…。スピンオフも入れれば「[[悲恋おかる勘平]]」(56)も。1%ということですね、だから。
ま、3回だけど「何度も取り上げられてる」には違いない。ま、たった3本にせよ「何度も取り上げられてる」には違いない。
(あっあとパロディの「[[サラリーマン忠臣蔵’60/続サラリーマン忠臣蔵’61|サラリーマン忠臣蔵]]」も入れれば4回の映像化。おかる勘平だけピックアップすれば連ドラからもちょっと何本か…まいっか。しつこくてすいません。)」も入れれば4回の映像化か。いや、おかる勘平だけピックアップすれば連ドラからもちょっと何本か…まいっか。しつこくてすいません。)

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