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監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。
DVDが2種類出ていますが、安い方は高い方より画像が暗く痛みが激しく、さらにズタズタにカットされてて47分も短く、活弁も音楽もなにもない無音ですが、ところどころ裏焼きだったり、タイトルロールのデザインが違ってたり、ちょいちょい興味深い愛嬌のある一本。
註01…「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまで撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]]の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」
「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」(別冊近代映画 昭和34年2月号)という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません。
<加筆>
「実録忠臣蔵」というタイトルのサイレント映画は尾上松之助主演の「実録忠臣蔵 松の間刃傷」(1910。横田商会)をかわきりに、その後1914年(会社不明)、1918年(日活)、1920年(国活)、1921年(日活)、1922年(松竹)(大活)、1923年(帝キネ)、1926年(日活)…と本作よりも前にいっぱいあるのでご混同あそばされませぬように。(出典:兵庫県赤穂市発行 「忠臣蔵」第五巻)
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