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斧定九郎

542 バイト追加, 2022年12月25日 (日) 11:41
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 演出家・蜷川幸雄はご自分の舞台「[[蜷川幸雄の仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」において、定九郎役の清家栄一氏に「映画『ブラックレイン』の松田優作のイメージで」と言ったという。なるほど。
 
 
 2007年の花組芝居による「[[KANADEHON忠臣蔵]]」では、定九郎は山賊スタイルで上演された。歌舞伎のほうでは2009年の大阪・松竹座の公演も原作に忠実だったようで、山賊の扮装の定九郎が見られたと聞きます(<こっちは要確認)。
 
 浮世絵には被弾してカラダから煙が出たりしているものもあり、ともかくこのキャラクターは役者がいろいろアレンジを楽しんでいるようでございます。
 
 2009年の大阪・松竹座の歌舞伎では原作に忠実だったようで、山賊の扮装の定九郎が見られたと聞きます(要確認)。
 團十郎が父親・随念と定九郎の扮装についてアイデアを語ってたのを聞いたか仲蔵が、のちに團十郎に乞ふて明和三年(1767)の秋、市村座ではじめてその姿で演じたとか。(関容子『芸づくし忠臣蔵』/戸板康二『忠臣蔵』/松島栄一『忠臣蔵』)
 
また「歌舞伎年表」(岩波書店)には、團十郎主催の修行講で出たアイデアを仲蔵が、自分にそれを演らせてほしいと申し出た、とあるそうです。
== スピン・オフ ==
 後塵の「「仮名手本」よりあとに作られた「'''太平記忠臣講釈'''」では定九郎が落ちぶれるキッカケが描かれている。
 彼は、[[浅野内匠頭|殿様]]の刃傷事件を国許に知らせるために、千崎弥五郎と共に二番目の早打ち。殿の切腹を告げにくる。親父の[[斧九太夫]]は「なんですぐ駆けつけて師直を殺して殿の鬱憤を晴らさなかった!」と怒り、満座の中で勘当するのでした。
中村仲蔵役に中村勘九郎(6th)を迎え、おなじみの 「[[中村仲蔵]]」の話をドラマ化。
勘九郎がインタビューで、江戸時代の芝居小屋の再現がワクワクしたと言ってるように、作品は「江戸時代」の芝居を取り巻くあれこれを(定九郎開発当時で、すでに明治時代のカタになっちゃってるなどの省エネ演出をさしおいても)丁寧に扱い、見ちゃいらんないような「いじめや差別」にまつわるベタな人間ドラマに、「日本沈没」と掛け持ちだった石橋蓮司のお稲荷さんや、朝ドラと掛け持ちで三味線をほんとに演奏してるのか吹き替えなのか絶妙な上白石萌音など、随所に愉快なスパイスが効いており、そこにうまいこと勘九郎の磊落な爆発力が機能している好感度の高い作品。勘九郎がインタビューで、江戸時代の芝居小屋の再現がワクワクしたと言ってるように、作品は「江戸時代」の芝居を取り巻くあれこれを(定九郎開発当時で、すでに明治時代のカタになっちゃってるなどの省エネ演出をさしおいても)丁寧に扱い、見ちゃいらんないような「いじめや差別」にまつわるベタな人間ドラマに、「日本沈没」と掛け持ちだった石橋蓮司のお稲荷さんや、朝ドラと掛け持ちで三味線をほんとに演奏してるのか吹き替えなのか絶妙な上白石萌音など、随所に愉快なスパイスが効いており、そこにうまいこと勘九郎の磊落な爆発力が機能している、好感度の高い作品。
とにかく軋轢の中で異例の出世をする仲蔵の、不名誉なキャスティング劇は、連続ドラマならではのアレンジに説得力があって、新しい構成やエピソードを盛り込み整理して、エキサイティングで感動的。(ヒントになる「ナゾのサムライ」を、浪人する前に仲蔵に一回遭わせておく心憎い演出もさることながら、実際濡れ鼠になって仲蔵の前に現れるときの浪人=藤原竜也のかっこいいこと!)とにかく軋轢の中で異例の出世をする仲蔵の、不名誉なキャスティング劇は、連続ドラマならではのアレンジに説得力があって、新しい構成やエピソードを盛り込み整理して、エキサイティングで感動的。(ヒントになる「ナゾのサムライ」を、浪人する前に仲蔵に一回遭わせておく心憎い演出もさることながら、実際濡れ鼠になって仲蔵の前に再び現れる浪人=藤原竜也のかっこいいこと!)
新。定九郎に客席がフリーズするシーンは、まったくの見もの。新・定九郎に客席がフリーズするシーンは、まったくの見もの。([[中村仲蔵|志の輔師匠や伯山先生などの得意とする古典モノ]]と、タメの部分やもったいぶり方がほとんど違う)

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