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村上喜剣

760 バイト追加, 2022年8月14日 (日) 14:06
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[[画像:Kiken.jpg|thumb|役者絵:田崎 潤]][[画像:KIKEN.jpg|thumb|浪曲カセットジャケットより]]
村上喜剣【むらかみ きけん】…九州出身。薩州、島津の家来。外伝の創作キャラクター。普通は侍言葉だが中には「さしむかいでごわす」というわざとらしい九州弁で表現される浪曲もある。
往来で呼び止め自己紹介。往来じゃなんだからと一力茶屋の奥座敷でさしむかい。しかし内蔵助は「あだうちなんぞは野暮」の一点張りに喜剣ショック。内蔵助はせっかくだからと酒や女を薦めるが「寄るなさわるな汚らわしいっ!おしろい塗った化け物ども!」とえらいことを言い、内蔵助に'''パンチをお見舞いする'''。
さらに「おのれ腰抜け!」「恩知らずの犬ざむらい」とののしり、足の先でタコをつまんで差し出し「食らえ」と侮辱三昧。「お〜これは大好物。さらに「おのれ腰抜け!」「恩知らずの犬ざむらい」とののしり、足の先でタコをつまんで差し出し「食らえ」と侮辱三昧。 「お〜これは大好物。'''手を出して足を頂くタコさかな'''」とうまいことを言う内蔵助。喜剣はすっかり愛想を尽かせて畳を蹴って去っていく。
喜「なんと!赤穂浪士がなんとかいたしたか!?」
町「なんにもしらねえのか唐変木。去年の暮れの14日に(中略後略)…というわけよ!」
喜「なんと!してその中に大石内蔵助あるや!?」
泉岳寺の四十七士のお墓のひとつに「刃道喜剣信士」という法号の墓碑があり、長いことそれは村上喜剣のものと伝えられていたそうだが、現在では泉岳寺の四十七士のお墓のひとつに「刃道喜剣信士」という法号の墓碑があって、長いことそれは村上喜剣のものと思ってた人が多かったそうだが、これは明和4年(1767)に岱潤という僧が墓碑を建てて以降に生まれた風説だと、元・赤穂大石神社宮司の飯尾精さんの「忠臣蔵の真相」(新人物往来社)にあり、この本には、上記フィクションストーリーの出どころ(戯作者・柳亭種彦)や伝承のいきさつも紹介されている。 この墓には寺坂吉右衛門のお墓であるという説と、萱野三平のお墓であるという説があったそうだが、明治になって間十次郎のお墓の横に寺坂吉右衛門のお墓を建てたことで、いまではもっぱら、こっちのほうは[[萱野三平]]のものではないかと言われている。のものということで親しまれている(?)。  <gallery>画像:KIKEN.jpg|thumb|浪曲カセットジャケット画像:kiken_hi.jpg|thumb|泉岳寺「烈士 喜剣の碑」</gallery>