「真貝弥七郎」の版間の差分

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真貝弥七郎【しんがい やしちろう】…吉良家の家来。吉良義周の小姓。
 
真貝弥七郎【しんがい やしちろう】…吉良家の家来。吉良義周の小姓。
  
講談「潮田又之丞」では根性の悪い、はなはだよくないやつとされている。潮田と一騎打ちの結果「これはシンガイ」とダジャレを言ってるスキに斬られるが、三波春夫先生は小野寺に斬られたと語る。
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講談「[[潮田又之丞]]」では根性の悪い、はなはだよくないやつとされている。潮田と一騎打ちの結果「これはシンガイ」とダジャレを言ってるスキに斬られるが、三波春夫先生は[[小野寺十内|小野寺]]に斬られたと語る。
  
 
元米沢藩士。勇ましく戦ったサマが小林平八郎や清水一学のモデルとなったとされているが、実際は真っ先に義士と玄関で鉢合わせて、早々に槍で突かれて死亡。
 
元米沢藩士。勇ましく戦ったサマが小林平八郎や清水一学のモデルとなったとされているが、実際は真っ先に義士と玄関で鉢合わせて、早々に槍で突かれて死亡。

2008年9月16日 (火) 08:18時点における版

真貝弥七郎【しんがい やしちろう】…吉良家の家来。吉良義周の小姓。

講談「潮田又之丞」では根性の悪い、はなはだよくないやつとされている。潮田と一騎打ちの結果「これはシンガイ」とダジャレを言ってるスキに斬られるが、三波春夫先生は小野寺に斬られたと語る。

元米沢藩士。勇ましく戦ったサマが小林平八郎や清水一学のモデルとなったとされているが、実際は真っ先に義士と玄関で鉢合わせて、早々に槍で突かれて死亡。

遺体からは折れた槍の切っ先が出てきたと言う。享年40