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神崎与五郎
,編集の要約なし
[[画像:Kanzaki.jpg|thumb|役者絵:本田博太郎]]
[[画像:Kan nin.jpg|thumb|プラモデル「詫び証文」]]
[[画像:KanzakiIMG 6375.jpgJPG|thumb|役者絵:本田博太郎「箱根旧街道休憩所」の展示]]
[[Category:四十七士|かんさきよころう]]
享年38。
* [http://blog.kusuya.net/?day=20170929 忠臣蔵ブログ「はこね忠臣蔵」]
与太郎の死骸は太郎作の死骸と言うことで葬られ、、めでたく与太郎になった名前も不縁起と言うことで「与五郎」にあらためた。
上記のエピソードが落語となるとサゲが「与太郎は甘口の人間だったが、神崎与五郎は辛口も辛口。辛い男でした。辛いはず。出がシオイリムラ(汐入村。大汐村ということも)でございました」
少年時代(14歳)に、美少年の友人につきまとい怪我をさせたストーカー(男)をぶち殺した。「蛇は三寸にして呑牛の気あり」ですなあ。
比較的有名な逸話であるにもかかわらず、直接討ち入りの役にたつような手柄ではないためか、意外にテレビでは尺的にカットされるエピソード。
絶対他言無用の機密を話してしまった矢作はへこみじゃくるが、ちょうど1人でいる時に約束の催促に代官が現れ、矢作が弟・弥五郎を送り出してしまった=結婚させる気がないと知ると、はらいせに[[吉良上野介|師直]]に注進に行こうとするので鉄砲で殺害する。
銃声と胸騒ぎに戻った弥五郎は戸惑いながらも兄・矢作を介錯する。(歌舞伎)
もともと百姓の子だった与五郎は、江戸の落合村(芝居狂言の時は上州高崎の強戸村)で百姓をやってる兄・矢作宅へ身を寄せる。
ほかは廃れてしまったが、二幕目だけ「忠臣連理廼鉢植」というタイトルで残っているんだそうです。(歌舞伎)
== 関連作品 ==
*[[ほまれの美丈夫]](東映)1956
*[[誉れの陣太鼓]](東映)1957