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神崎与五郎

774 バイト追加, 2018年7月16日 (月) 11:56
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[[画像:Kanzaki.jpg|thumb|役者絵:本田博太郎]]
 
[[画像:Kan nin.jpg|thumb|プラモデル「詫び証文」]]
[[画像:KanzakiIMG 6375.jpgJPG|thumb|役者絵:本田博太郎「箱根旧街道休憩所」の展示]]
[[Category:四十七士|かんさきよころう]]
享年38。
 
 
* [http://blog.kusuya.net/?day=20170929 忠臣蔵ブログ「はこね忠臣蔵」]
上記のエピソードが落語となるとサゲが「与太郎は甘口の人間だったが、神崎与五郎は辛口も辛口。辛い男でした。辛いはず。出がシオイリムラ(汐入村)でございました」上記のエピソードが落語となるとサゲが「与太郎は甘口の人間だったが、神崎与五郎は辛口も辛口。辛い男でした。辛いはず。出がシオイリムラ(汐入村。大汐村ということも)でございました」  少年時代(14歳)に、美少年の友人につきまとい怪我をさせたストーカー(男)をぶち殺した。「蛇は三寸にして呑牛の気あり」ですなあ。
映像版ですと、グッとこらえるシーンには鞘と鍔(つば)にあらかじめこよりが結んであって、抜こうとするがハッとするシーンが時々ある。また、神崎を丑の股の下をくぐらせるシーンが見られることもある。両方とも講談や浪曲には出てこない。なにがオリジナルなのだろうか?後者は中国の「韓信の股くぐり」のアレンジと思われる。映像版ですと、グッとこらえるシーンには鞘と鍔(つば)にあらかじめこよりが結んであって、抜こうとするがハッとするシーンが時々ある。また、神崎を丑の股の下をくぐらせるシーンが見られることもある。後者は中国の「韓信の股くぐり」のアレンジと思われるが、両方とも講談や浪曲には出てこない。明治時代の本に「[[赤埴源蔵|赤垣源蔵]]は[[塩山伊左衛門|塩山の屋敷]]を一幕いたします。只今の団蔵が十八番(おはこ)でございます」などとあるから、今では滅多に演らない歌舞伎のスピンオフものにあるのかもしれない。全国の地芝居を注意深く追いかけたいものであります。
比較的有名な逸話であるにもかかわらず、直接討ち入りの役にたつような手柄ではないためか、意外にテレビでは尺的にカットされるエピソード。
絶対他言無用の機密を話してしまった矢作はへこみじゃくるが、ちょうど1人でいる時に約束の催促に代官が現れ、矢作が弟・弥五郎を送り出してしまった=結婚させる気がないと知ると、はらいせに[[吉良上野介|師直]]に注進に行こうとするので鉄砲で殺害する。
矢作は前もって弥五郎から聞いていた「切腹の作法」をもとに、有り合わせの道具(これがおもしろい。三方の代わりにまな板。身の回りの四隅に置くシキビの代わりに大根。そして九寸五部の代わりに、鎌である)で自害する。矢作は前もって弥五郎から聞いていた「切腹の作法」をもとに、有り合わせの道具(これがおもしろい。三方の代わりにまな板。身の回りの四隅に置くシキビの代わりに大根。そして九寸五分の代わりに、鎌である)で自害する。
銃声と胸騒ぎに戻った弥五郎は戸惑いながらも兄・矢作を介錯する。(歌舞伎)
== 関連作品 ==
*[[ほまれの美丈夫]](東映)1956 *[[誉れの陣太鼓]](東映)1957

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