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蕎麦屋

2,145 バイト追加, 2018年1月3日 (水) 01:17
編集の要約なし
持って行こうとしたそばを浪士たちは食べないでよかったのかなあ、といつもドラマや映画を見て思う。
 
 
このそばやシークエンスは「泉岳寺書上(かきあげ)」なる、討ち入りからだいぶあとに登場したあやしげな文書に「両国橋の楠屋十兵衛で手打ちそばを食べた」と書かれていたのがきっかけで膨らんでいったそうで、実際は「手打ちそば」はこの時代に無かったというし、当時はお店も浪曲「[[俵星玄蕃]]」に出てくる[[杉野十平次]]のような「振り売り」スタイルが主流だったそうである。
 
もっと言うと、この当時「そば」と言えばそば粉を練ったかたまりの「そばきり」の時代。
 
というわけで、四十七士全員を温かいかけそばでもてなす、くすやの存在は果てしなくフィクション。
 
とはいえ、「[[寺坂吉右衛門|寺坂]]信行筆記」という書物には、集合時間まで[[吉田忠左衛門]]ほか6〜7名が両国の「亀田屋」という茶屋でそば切りを食べたとあるそうですから、まったく義士とそばが無縁というわけでもなさそうです。(コミック誌ビッグコミックの漫画「そばもん」より)
 
サイト管理人、もりい くすおの名前と、忠臣蔵登場人物くすやさんに絡めて本サイト名をくすやとさせていただいた次第です。
 
 
 
 
== 余談 ==
 
'70年代にリリースされたタモリのギャグが詰まったファースト・コンピレーション・アルバムに「"武蔵と小次郎"part1~討入り前の蕎麦屋の二階」というネタがあって、タモリがさまざまな有名人(長谷川一夫、美濃部都知事、田中角栄総理など)のスタンス(モノマネ)で討ち入り前の意気込みを5人分語っている(3min34s)。
 
 
ちなみに2018年1月現在Wikipediaにはこのアルバムについて「毛沢東風中国人・マッカーサー風アメリカ人・ヒトラー風ドイツ人・寺山修司風日本人のモノマネによる「四カ国親善麻雀」」が収録されているとしてあるが、実際は「中国人韓国人アメリカ人と寺山修司風日本人による麻雀」が正しく、この芸には歴史上の人物を思わせるエッセンスは一切無い。

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