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赤埴源蔵
,編集の要約なし
よく赤垣(あかがき)と間違われる。江戸急進派。
明治期の本には「赤垣源蔵、[[武林唯七]]とくると、どんな子供衆でもご存知でございます」(青海堂 落語忠臣蔵)と、言ってるくらいの人気キャラ。
すぎ「マア。源蔵様、泣いてらっしゃるんですか?」
お兄さんは帰宅後、おすぎから源蔵の様子を聞き、気の毒がる。
「徳利の別れ」「名残の徳利」
落語「赤垣源蔵」では兄の名は柴田伊左衛門(脇坂淡路守の家来)。源蔵がお鍋(と名が変わる)の顔のことを「人一化け九」とからかえば、お鍋は髪を上げるときに使うヒビったけの入ったムサい茶碗をもてなしに出すなどふたりの間柄にギャグ度がパワーアップ。源蔵は羽織ではなく兄の名札に一献。
討ち入りの朝、兄は下男の半助に「わが弟、源蔵がいたらたくさんホメ言葉をかけてくれ。もしいなかったらお前、切腹してはてろっ」
それからめでたく仙台家の門前で二人は出会い、別れる。
※講釈師もしてた五明楼玉輔(2nd)から三遊亭円遊(3rd)が伝授されたとされる講談のバリエーション。
討ち入りのあとの火の始末をしている。
[[忠臣蔵(大映)|大映]]ではカツシン。[[忠臣蔵 風の巻・雲の巻|渡辺謙]]とか[[年末時代劇スペシャル 忠臣蔵|あおい輝彦]]とか、意外に[[堀部安兵衛]]よりいい俳優がキャスティングされる(「[[TAKECHANマン忠臣蔵|タケちゃんマン忠臣蔵]]」では片岡鶴太郎)。
享年35。
[https://www.youtube.com/watch?v=OFICXA8S0dU&t=533s しろうと落語「赤垣源蔵 徳利の別れ」]
野田秀樹主宰だった劇団夢の遊眠社による、赤垣源蔵が主役の1991年のお芝居「目に青葉ヤマホトトギス赤穂浪士」というのもある。
シナリオだけを読んだだけでは、特徴豊かな夢の遊眠社の舞台の魅力までにはたどり着けなかったが、おはなし自体はイイ具合に荒唐無稽。忠臣蔵物語につきものの正命題vs反命題・的な要素をひねくって、わかりようのないわかりやすさでメタファーの花園にした作品。
== 関連項目 ==
== 関連作品 ==
* [[赤垣源蔵]](日活)1929
* [[赤垣源蔵 討ち入り前夜]](日活)1938