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赤穂城断絶
,編集の要約なし
[[画像:JJ_sony_chiba.jpg|thumb|役者絵:千葉真一]][[画像:Kobayasi.jpg|thumb|役者絵:渡瀬恒彦 ]]
大石が「ご公義への叛逆!」と言ってたり「吉良を再吟味しないのなら、大学ご奉公の儀、ご辞退するよりほかございません」と自分から柳沢吉保に直訴するなど、斬新な脚色もあり、とにかく強気で喧嘩腰。やわらかいラブストーリーやコミカルなエピソードはいっさい排除して、[[小林平八郎橋本平左衛門]]と[[不破数右衛門]](渡瀬恒彦VS千葉真一!カッコイイ)の一騎打ちは見どころ。の心中だけを一瞬描き、ストーリーはまっすぐ討ち入りへと進む。
[[小林平八郎]]と[[不破数右衛門]](渡瀬恒彦VS千葉真一!カッコイイ)の一騎打ちは見どころ。
音楽はテレビ時代劇なみに軽い(仁義なき戦いの作曲家さん)。
<附言>
もれ承りますところによると、「柳生一族の陰謀」から深作監督は、もっともっと「仁義なき戦い」風にしたかったようで(と、言いつつ本作については、[[元禄忠臣蔵 前篇・後篇|「元禄忠臣蔵」]]みたいにもしたかった)、でも東映側の方法論や、内蔵助役の萬屋錦之介(当時45歳)のこだわりもあって思うように描けず、結果的には監督にとっても錦之介にとっても腑に落ちない仕上がりとなっているらしい。
本作の企画・日下部五朗(映画プロデューサー)も「脚本家がどういう忠臣蔵にするか迷って迷って中途半端になり、キンちゃんの演技もどっちつかず」と。インタビューで答えている。<small>(河出書房新社「深作欣二」春日太一責任編集)</small>
後年に、本作について、こうまで後ろ向きの意見ばかり聞かされると、「んじゃあ、面白がったら間違いなのかな」って思っちゃう、関係者の愚痴の多い作品。
監督は「金子信夫で内蔵助を演じてほしかった<small>(「キネマ旬報」NO.1145)</small>」と言うが、見てみたかったものです。
昭和時代最後の忠臣蔵映画。
註01…東映の時代劇が作られなくなって久しく、この1978年に先行して公開された「柳生一族の陰謀」がヒットしたんで、強行スケジュールで時代劇復興第2段!という勢いで制作されたイメージだが、すでに「忠臣蔵と聞いても内容を知ってる若者はいない」(脚本:高田宏浩 談)という時代で、資材は残ってるけどスタッフも時代劇の勝手がわかってる人が40人位だったという<small>(「キネマ旬報」No.747)</small>。
それでも、この年は手塚治虫が悔やむほど<small>(「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」2015年4月)</small>「さらば宇宙戦艦ヤマト」の「我が身を捨てるヒロイズム」=浪花節哲学が若者に大ヒット中で、「赤穂城断絶」が受け入れられる下地はあったようだ。
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[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1978]]