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赤穂城/続赤穂城

1,027 バイト追加, 2022年3月10日 (木) 23:29
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{{Cinema|制作=東映|公開=1952|内蔵助=片岡千恵蔵|星=2|頃=}}
 
[[画像:akojyo_poster.jpg|thumb|映画ポスター(レプリカ「忠臣蔵ポスター集」東映映像事業部)。]]
「赤穂城」は[[浅野内匠頭|内匠頭]]の饗応役任命〜赤穂へ早打ち到着までを1時間20分ほどかけて、「続赤穂城」はそれから城明け渡しまでを約1時間40分かけて描いている、「忠臣蔵の前半」だけの正編&続編。
ひじょうにゆっくりした、よく言えば丁寧な作りの作品だが、GHQのチャンバラ禁止令のためか(?)、討ち入りは描かずにいる。当時(戦後)、GHQから禁制作品とみなされていたチャンバラの、ブラックリストの首魁級に思われていた「忠臣蔵」を、東映首脳部が顔見世映画としてどうしてもやりたくて、「封建社会の歪みがレジスタンスの四十七士を生んだ。オオイシは果敢に封建主義打破に立ち上がった民主主義者なんです」と言って、GHQをくどき倒したという。(近代映画 臨時増刊 S31 no.133) 結果、討ち入りは描かかれない、なんだかひじょうにゆっくりした、よく言えば丁寧な作りの作品だが、とても不思議な風合いになっている。
内蔵助=千恵蔵の「何事も穏便が第一」という台詞も含みを感じる。
明け渡しまで城の中で評議を繰り返し、メンバーが減っていく様からただよう赤穂城内の孤立感といい、明け渡しまで城の中で「渡すのか」「抵抗するのか」「どうする!?」で評議を繰り返し、メンバーが減っていく様からただよう赤穂城内の孤立感といい、[[脇坂淡路守|脇坂]]勢の軍隊が近づいてくるにつれ高まる緊張感は他作品にはない独特のものがある。
まさにタイトル通り「赤穂城」(=日本?)が主役の、なかなかオン・タイムな映画なのだ。
製作にまつわるいきさつはまったくわからないが、この「赤穂城/続赤穂城」の続きを意識したことは間違いないものと見える。監督は変わっちゃうが3本でひとつと言っていいのではないだろうか。
(…と、意気揚々と書き込みましたが、コレを書いた約一ヶ月後、古いキネ旬増刊号に「赤穂城三部作」として紹介されていた。やっぱそうだったのね…)(附言)↑…と、意気揚々と書き込みましたが、あらためて「女間者…」を見ると、思いっきりオープニングに本作がダイジェストで挿入されていた。またコレを書いた約一ヶ月後、古いキネ旬増刊号に「赤穂城三部作」として紹介されていたのを発見するに至る。やっぱそうだったのね…  サンフランシスコ講和条約が結ばれて占領時代が終わって、1952年下半期から討ち入りが戻ってくる。
サンフランシスコ講和条約が結ばれて占領時代が終わって、1953年から討ち入りが戻ってくる。かつて[http://www.dmm.com/digital/cinema/-/detail/=/cid=5059toei08133/?i3_ref=search&i3_ord=1 DMM動画]で見られた。

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