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回編集
差分
身代わり忠臣蔵
,編集の要約なし
{{Cinema|制作=東映|公開=2024|内蔵助=永山瑛太|星=3|頃=}}
[[画像:migawari_bookmigawari_sinjyuku.jpg|thumb|公開当時のパンフレット。京王線新宿駅ホームの広告]] (後日また加筆予定) (ネタバレ注意)(ネタバレ御免)
このストーリーはウォーレン・ベイティの「天国から来たチャンピオン」みたいな、イヤなじじいに別人が憑依する(本作の場合は身代わりだが)ことでそのパーソナリティが変わり、これまでそのじじいを敬遠してた人たちの心変わりや周囲の環境の変化とともに、ハートウォーミングなラストへ流れ込んでいくパターンなのだが、せっかくオリジナルの吉良を徹底した「傲慢でイヤミたっぷりな」「わるぐちを大声で言う」(<セリフより)ようなキャラにして、身代わりになったあとは「(お陰で)お家全体が明るくなった」(<セリフより)つってるわりに、なぜかもともと吉良邸内では家来に慕われるような描写があったり、子供たちがなついてきたりするシーンがあるから、身代わり前後のコントラストが弱く、言ってることとやってることの矛盾、ブレをいささか感じた。
かくして劇中の吉良邸のスタッフにも映画鑑賞者にも良い人として受け入れられちゃった吉良の不可避な「死」を、どういうプロセスでゴールインさせるのかなーと思ってたが、その工夫はおもしろかった。
それまでが生首ラグビーのギャグをすんなり受け入れられる系統のブラックな脈絡でもなかったように感じるし…
それ以降も、終わったと思ったら終わってなかった、みたいなもたつきを何度か感じたのです。
ともあれ、救いようのない悪漢・吉良上野介の描写(生前も死後も)には、吉良びいきのかたがたにおかれては、いろいろ罰当たりに映る気の悪いとこもあったかと、お察しいたします。
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…おっぱいを直接に触りたいなら襟元から手を突っ込むのではなく、絶対に身八つ口のほうが楽だ思うんだけどな…。とか、高尾太夫とはまたベタな(&忠臣蔵と無関係だが落語や浪曲の「紺屋高尾」で有名な)名前を引っ張ってきたもんだな。とか(←こういうベタは作品を安くする…と思ったけど、吉原の花魁だから、そうしたのかぁ?)、やりたい設定を成立させるためにずいぶんとアレコレどっさり省略したなあ。とか、四十七士がみんな面長で似た顔立ちなのはメインキャラを際立たせるためだろうか。とか、吉良のクビを包んだ布に現れる大根の切断面みたいな真っ平らのシルエットは、リアルさを避けようとした配慮だと思うが、さめるわ〜。