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四十八人目の男
,編集の要約なし
{{Cinema|制作=東宝|公開=1952|内蔵助=大河内伝次郎|星=3|頃=}}
[[画像:48otoko.jpg|thumb|プレスシート(の付録)]]
劇中の小山田像は、実際に伝えられる(&講談で表現される)「泥棒をして辞めちゃった」男ではない。
これを皮切りに、ひょんな事で知り合った上杉家の間者・小関新九郎(キーパーソンとなる)に道端のタイマン勝負で敗れたり、知り合った姉妹からすごくモテたりすることで、どんどんと彼が一途に信じていたものが崩れ始める。
それでも本作は「ほんとに討ち入りに参加しないで生き延びることで正解か?」という点をたえず掲げている部分が、ちょっとほかの上を行ってる感じ。
これだけ丁寧に脱盟者に焦点を当てて共感ができても、「葛藤」の描写がリアルなぶん、ときどきカット・インされる討ち入りに出かけるメンバーの姿や彼らの戦いが「やっぱり」かっこ良く見えてきたりする。戦後の観客にはどう写ったろうか?
作品の質を高めてるのは原作の大佛次郎先生が脚本に参加(!)してることが、おおきく寄与しているのではなかろうか。<small>(註01)</small>
おもんみるに忠臣蔵の魅力というのはまさにこの点「どう生きるのが正解か」が鑑賞者に訴えるポイントかなと。そのテーマがうまく構成できると敵味方双方の言い分を楽しめるようで。
本作で吉良をやった高堂国典(「ゴジラ」で大戸島の長老、「七人の侍」で村の長老)はなっかなかのクソジジイぶり。上杉の家臣が「仕えたくないなあ」と思うような非人格者であるほど登場人物の気持ちを楽しめる。
註01…「読売新聞に230回の長期にわたって連載。読売受読者300万に感動を与えた」作品だと、当時のプレスシート(画像)にある。